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               ブ  ロ  グ     



4月8日(月)

  玉ぐし川沿いの桜がきれいに咲いています。新小学生が桜をバックにランドセルを背負ってハイポーズ。
そういえば入学式のあった日はかなりの雨で、大切な日の写真撮影ちゃんと出来ていなかったのでしょうね。
毎年桜の風景は大して変わりはないのに、ついカメラを向けてしまうのは何故なのでしょうね。桜の魅力が 
なせる業なのでしょう。今年はいつまでこの美しさを楽しむことができるのでしょうか。
               
   さて、先日台湾を訪問しました。シニア・ソフトテニス日台親善の旅にお声をかけていただいて6年ぶりに台湾に
行くこととなりました。テニスを全くしない私は、夫のマネージャー兼ファンクラブ代表として参加しました。
海外旅行はコロナ以降、体力的にも金銭的にも大変難しくなっています。金銭的なことで言えば、以前の2倍は
かかる感じで、もうびっくりです。行きたい国はいっぱいあるのにもうダメかな、アジアくらいなら行けるかな、
なんて思う今日この頃です。台湾には6日間滞在でした。そのうち3日間は朝から夕方まで試合です。60、65歳代
 の台湾NO1の選手と試合をさせてもらいました。年齢が若くて、しかも台湾NO1ときていますから勝てるはずが
ありません。でもめったに経験できることではないので夫は嬉しかったようです。晩の歓迎会も3日連続でした。
 前半3日間の収穫は、朝食後に行った地元の市場で釈迦頭、ガバを購入したこと。日本では、なかなか食べられない
果物です。ホテルの部屋でかぶりつきました。台湾の朝の市場の活気にも触れることができました。 
帰国前日は、台北の総督府観光と九份の散策でした。総督府は日本が台湾を統治していた頃作られました。
今も総督府として使われている官庁建築ですが、一部見学できました。九份の散策は雨で大変でしたが、
「千と千尋の神隠し」の舞台とも言われている所で、一度は行ってみたいと思っていました。ハードスケジュール
でしたが、けっこう体力持ちました。最終日は圓山大飯店に宿泊でした。蒋介石の奥さんが建てた古典的な建物です。 
到着した際、ロビーでピアノとバイオリンの演奏でお客さんたちを迎えていました。次の日のチェックアウト時には
ピアノで「また逢う日まで」が流れていました。ちょっと素敵!と思いました。

              
 
 末筆になってしまいましたが、台湾の皆様、地震被害お見舞い申し上げます。以前台湾に行った時も花蓮で地震が 
あった後でした。一日観光は花蓮市タロコ渓谷でしたが、、あまりにも早い復興に驚きました。今回は台湾から帰って
2週間後でした。何か複雑な思いです。元気出して復興してください。



3月10日(日)

  1月、2月、3月の時の流れのなんと早いことか。つい先日お正月を迎えたと思っていたのに、気づけば3月も残り
半分程になっていました。3月は年度の締めくくりの月、1年の活動報告としてあちらこちらで 文化活動発表の場が
設けられました。3月1日には東大阪の文化創造館で東大坂市で活躍する団体、個人のための文化祭があり、私が
所属するボランティアグループも参加しました。立派なホールでの演奏、緊張しましたが参加できて嬉しかったです。
9日には八尾の生涯学習センターでのフェスタかがやき、短時間でしたが見に行きました。自分と同じような年代の
人たちが、それぞれの興味関心を大切にやりたいことを選択し、頑張っている姿は素敵でした。パワーを頂きました。
特に興味深かったのが文章クラブ。今回は「思い出」というテーマで各自が文章を書いて5人の方が発表していました。
笑いあり、涙ありの内容で、短い時間で自分の言いたいこと伝えたいことを聴いている人にいかに伝えたらいいのか
勉強になりました。今日(10日)は、私もギターの公民館講座の発表会に参加しました。ギターの個人レッスンをやめ
てから何とかギターを気軽に弾ける機会がほしくて探したのがこの公民館講座でした。難しいことは何もしなかったの
ですが、初心に返ってギターを弾く心構えを見直すことはできたかなと思っています。 これからは、布施でやっている
ボランティアグループのギターに専念して頑張ろうと思います。 マンドリンももちろん頑張ります。
今日は発表会後に、かつての職場の友人二人と会って久し振りにおしゃべりも楽しみました。最後は「また会おうね。」
とハグして別れました。ギター担いで、八尾の龍華、近鉄八尾、久宝寺とあっち行ったり、こっち行ったりしましたが、
心満たされる一日でした。



1月8日(月)

  小学1年生の孫娘とお正月に、初めてのふたりだけのお出かけをしました。ディズニー100周年記念に
作られた{ウィッシュ」を見に行きました。映画が好きで、もう数回映画館で映画を見ているようです。 
見るマナーもなかなかのものでした。ポップコーンとジュースを買って中に入ったのですが、そちらに注意が
向くこともあまりなくストーリーに入り込んでいたようです。映画が終わるなり、「おばあちゃん泣いた?」と
聞かれました。「私は泣いたよ。」というので「どこで泣いたの?」と聞くと「みんなで力を合わせて悪い王様 
をやっつける所。誰かが頑張っている所を見ると感動するんだ。」ーだそうです。
映画が終わってお昼にピザを食べながら願いや夢や映画の内容についてふたりで語りあいました。
こんなことが孫とできるようになったんだなと感慨深いものがありました。家に帰って夕食の時には、両親や
おじいちゃんと映画のことで盛り上がりました。最終、願いや夢は誰かに叶えてもらうんじゃなくて、自分の
努力でつかむんだということを学んだようです。エンドロールまでしっかり見て音楽も聴いて、映画の余韻
を味わうところなど、立派な映画ファンだなあと少々驚きました。 



12月11日

  作日、マンドリンの練習のため新幹線で岡山まで行ってきました。事情を知らない人は「何でそんな遠いところへ、
 しかも新幹線代高いでしょ。」と驚くかも知れません。そのわけは、少し長くなるかもしれませんが読んでください。
約二年前、3番番目の孫が大病を患いました。もう死んでしまうのではないかと思うほど生死をさまよいました。
命が助かっても植物人間のようになってしまうのではないかと家族みんなが絶望的な気持ちになりました。
その孫が、的確な処置をしていただいたお医者さんの存在と近くに素晴らしい病院があったことで命を繋ぎました。 
当時は息子たちを支えるべく、自宅はほとんど留守の状態でした。今から思えばどうやって毎日毎日を過ごしてい 
たんだろうと思うくらいです。1年目は必死の年でした。どんな家庭にも不幸は訪れたらいけないのですが「なんで
うちなん?」と思ってしまったのも事実です。
長い入院生活が終わり、保育園も障害児にはなってしまったものの受け入れてくださり、新しい生活が始まりました。
家族も現実を受け入れ、少しずつ前向きにいろいろ考えるようになりました。そんなこんなで少しでも息子夫婦の
手助けが出来ればと、今でも毎月数日間、岡山に出かけていきます。孫の成長の度合いも見れますし・・・。
岡山に行くにあったって、夫は岡山出身なのでテニス仲間がたくさんいます。私にも何か楽しみがあったらいいな、と
思う余裕が出てきました。ネットで探しました。ありました、ありました!かわちマンドリーノと本当によく似たグループ
です。高校のマンドリンクラブの卒業生が立ち上げたグループです。練習日も月1回。私は飛びあがって喜び、
すぐに連絡を取って参加させていただきました。夫が一緒に岡山に行くときは車ですが、一人の時は、新幹線で
行きます。お金も時間もかかりますが、それにも増して楽しいのが一番です。以前は、夫も夫の友達(徳島)も、
練習だけのために広島に行ったり、滋賀に行ったり、奈良に行ったり、遠くまで足を延ばす事が多く、「よくやる
よね~。」と批判じみたことを言っていた私です。知り合いが韓国のスターのコンサートを聴きに韓国まで行く
のに対しても「よくやるよな~。」なんて直接言えないけれど心で思っていた私です。でも、今は気持ちがよく
わかります。この歳になったら、やりたいことは我慢せず、楽しいことを追い求めていきます。もちろんできる範囲で。 
家族のきずなが深まったのも、岡山のマンドリンアンサンブルとの縁が出来たのも、孫の病気がきっかけでした。
 不幸なことも考えようだと、少しずつプラス思考ができるようになりました。




11月10日(金)

  秋も深まり場所によっては紅葉の終わった所、見ごろがこれからという所さまざまです。
そんな中、10月の終わりから11月にかけて東北旅行に行ってきました。9日間という贅沢な旅でした。
退職するまでは仕事と子育てでバタバタしていて、不器用な私は時間をそれ以外の所で上手に使うこと
ができず、旅行はあまりしていませんでした。 退職してようやく旅行三昧するぞと意気込んでいた数年後、
コロナで旅行どころではなくなりました。 コロナもようやく静かになって、あちこちで旅行ムードが戻ってき
ました。以前から行きたかった東北旅行がやっと実現しました。車好きの夫は、気ままに動けるので、大阪
から自分の車で行くと言い出しました。今年亡くなった姉の墓参りとその後の義兄の様子を見に群馬から
スタートしました。その後は、宮城県仙台で行われたシニアソフトテニス・アジア大会に、夫が特別枠で個人戦
だけ出場させてもらえることになり、 仙台に3泊。ソフトテニスは世界ではマイナースポーツでアジア大会と
いっても韓国、台湾、日本の3カ国での試合です。偶数年に日本一になった45歳以上のペアが出場でき
ます。団体戦と個人戦があります。私は夫の友人の奥さんと二人で応援でした。最近はルールも少しずつ判
ってきて見ているだけでも面白く、2日間飽きませんでした。この大会は、もちろんテニスを通して、日韓、
日台の交流・親善も兼ねています。韓国でお世話になった人も来ていて会えて良かったです。
海を渡って私たちの友人が増えています。戦争のない世界になってほしいと強く思います。 
有名なソフトテニスのユーチューバー、あゆタロウさんも来て録画してました。あゆタロウさんのチャンネル
にアジア大会のことが上がっていました。アジア大会後はいよいよ旅行本番です。津軽半島の根っこ部分
にある五所川原の立佞武多、金木の太宰治記念館「斜陽館」 青森の佞武多、浅虫温泉泊。ちょっときつい
 一日でしたが温泉につかって疲れをとりました。食事の用意や後かたずけがないのが最高と思いました。
次の日は、下北半島を北上して恐山に。やはり名前の通り不思議な雰囲気のある場所でした。翌日から 
閉山ということで人は少なくゆっくり1時間半ほどかけて回りました。景色はとてもきれいでした。硫黄の匂いが 
きつかったです。あちこちで湯気のようなものが上がっていたので、硫黄以外にも地中の下の方から湧き出
ているものがあるのでしょうね。休火山だそうです。地獄の風景と極楽の風景が広がる、あの世に最も近い
場所らしいです。そんな雰囲気があるなと思いました。 
恐山を後に、八甲田山に向かいました。青森県に入ってからは、どこもかしこも紅葉紅葉で感嘆の溜息が絶
えることがありませんでした。 急きょ八甲田山へ行くことにしたので時間があまりありませんでしたが、下りの
 ロープーウェーから落日を見ることが出来ました。その日は十和田湖まで南下しました。翌朝、十和田湖畔を
散歩して、いよいよ私が行ってみたいとずっと思っていた、奥入瀬渓流2時間ハイキングに 出かけました。
10月末でシャトルバスの運行はなくなり、観光客も少なくなっていました。渓流沿いの滝や紅葉した樹々は 
とてもきれいでした。もう少しゆっくり見ながら歩きたかったのですが、夫が十和田湖の遊覧船に乗りたいと
いうので急ぎ足になって大変でした。体育系の夫の歩調に合わすのは至難の業でした。ところがその日は
 強風のため遊覧船の運行が中止でした。なんということでしょう。がっかりしながら次の目的地、乳頭温泉
に向かいました。知人にも勧められていた乳頭温泉、良かったです。機会があればまた行きたいです。
今回泊まったところも良かったですが、次回は泊まる宿も変えてみたいですね。
その日、大浴場で出会った見知らぬ人と会話が弾み、1時間以上も部屋に戻らなかった夫ですが、新潟を通 
って北陸経由で大阪に戻るのなら、酒田に寄ったらどうですかとのアドバイスをもらい、翌日行くことになりま
した。現地で情報をもらっていくらでも予定が変えられるというのは個人旅行の醍醐味ですね。酒田の山居
倉庫(米どころ荘内の米保管倉庫12棟)ケヤキ並木に寄ることにしました。そしていよいよ最終目的地長岡へ。
そこは、大学時代一緒にマンドリンクラブに入っていた友人がいます。私はマンドリン、長岡の友人と私の夫
はギターパートでした。友人の旦那さんも同じ大学卒なので夜遅くまで会話がはずみました。
今回の旅行は、自然の美しさを目いっぱい味わうことができたり、人とのかかわりの温かさに触れたり実に
良い旅でした。次は北海道に行きたいです。夏がいいかな。実現できるかな??
私の長い旅行記、お付き合いしていただきありがとうございました。途中ナビが教えてくれたとんでもない道
に入り込んで怖い思いもしましたが、何とか無事に大阪に戻ってきました。いつもの日常に戻りま~す。
                                                                      
   
         

                                                                                                                                    
   


                                                         
  
         
  



10月15日(日)

  昨日コンサートに行ってきました。4人編成のアンサンブル「ミルフィーユ」のコンサートです。
我がかわちマンドリーノの現メンバー3人が参加しています。結成15周年を記念してのコンサート
で八尾のプリズム小ホールで行われました。会場にはたくさんのお客さんが入っており、彼らの
日頃の活動の地道さとお客さんとのつながりの深さを感じました。どんなことも継続するにはそれ
なりの苦労があるものです。1つ1つその苦労をクリアして現在があります。凄いことです。心から 
敬意を表したいです。演奏は2時間にも及ぶものでしたが、お馴染みの曲も多く、あっという間に 
時間が流れました。テンポの速い曲、ゆったりとした曲、明るく元気な曲、しんみりとした静かな曲
いろいろありました。自分も演奏する者として、この速さに指がついてきていること、速いのに音が
しっかりはっきり出ていること、気持ちが込められていること、などなど本当に勉強になり刺激を受 
けました。演奏者さん全員に感謝の意を表したいです。これからもマンドリンファンが増えますよう 
にと願っています。ギターも好きですが、やはりマンドリンアンサンブルはマンドリンが目立ちますよね。
 昨日はラッキーなことに同じプリズムの大ホールでもう一つ、「モザール」のコンサートがありました。 
ちゃっかり、はしごしてしまいました。こちらは、すごい部員数で大ホールの舞台を埋め尽くすほどの 
スケールでした。パーカッション、管楽器、ピアノ、コントラバスも入り音の迫力が凄かったです。
しかし演奏する者としては、不謹慎なことも頭をよぎりました。この人数なら少々間違っても目立た
ないなとか、弾けない所あってもいけるなとか、本当に申し訳ないことを思ってしまう程の人数でした。
最終部(3部)はパイレーツオブカリビア、ニューシネマパラダイス、オペラ座の怪人でした。3曲とも
聞きたかったので結局最後まで会場にとどまりました。コンサート終了後、ホールの外に出た時は 
すでに18:00を過ぎ、真っ暗な雨の中帰路につきました。秋の音楽鑑賞充実の日でした。 



8月20日(日)

    カエル殿、安らかに眠ってください。
田舎に帰省した折、夫の実家の駐車場付近の石塀の所にウシガエルの干からびた
死骸がありました。余り見たくないような写真をアップします事、お許しください。
車に轢かれた形跡はなく、そのままの状態でミイラになっていました。灼熱の太陽 
にやられたのでしょうか。今年の夏は異常です。生き物から水分を容赦なく奪って
いきます。畑の野菜も次々と枯れていきます。我が家のトマトの木も壊滅状態。街では熱中症で救急搬送され
る人が続出。エアコンの稼働がものすごいことになり、さらに空気が熱を帯びます。この先地球はどうなって
いくのでしょうか。 不安です。



7月19日(水)

  連日あきれるほどの暑さに、もううんざりです。エアコンつけると冷えすぎ、止めるとすぐに暑さに耐え
られなくなる、つけたり消したり、そんなことをすればかえって電気代かかるのに、どうにもなりません。
  そんな暑い中、先日、粂井謙三さんのマンドリンを聴きに淀川教会に行ってきました。
上新庄駅から教会は一応徒歩10分程度ということでしたが、この暑さの中で前期高齢者にとって10分も
歩くって危険じゃない?と思った程です。以前行ったときのことを全く覚えていなくて、またまた、目的地
周辺を汗だくになってうろうろ。もう倒れるんじゃないかと思うくらいの疲労感。ようやくたどり着き、
「暑い中ごくろうさまです。」という受付の方の言葉にホッとしながらも無言でお辞儀。疲れ切って言葉
も出ませんでした。コンサートはいつもながらの楽しいトークと素敵なマンドリンの調べ、暑さと疲れが
吹き飛びました。 力強い音、やさしい音、軽快な音、ゆったりとした音、悲しげな音などなど、1つの楽器
から作り出される 様々な顔を持った音、私には出したくても出せない音。あんな風に弾けたらな!う~ん、
悔し~い!唸るしかない。そんな複雑な気持ちが湧きあがりました。
コンサート中盤で弾かれた、カラーチェの第二前奏曲は実にすごかったです。ブラボー!って叫びたかった
けれど、恥ずかしくて叫べませんでした。かわりにと言っては変ですが溜息が出ました。
前回行かせていただいた粂井さんのコンサートは、少し物足りなく思いましたが、今回は胸が踊りました。 
コンサートって、提供する人とそれを受け取る人の気持ちがピタッとする時、受け取る人にとって最高のコン
サートになるんだと思います。今回は充実した気分になれたこと嬉しかったです。そして帰りは知り合いの方
の車に乗せていただいて無事に家にたどり着きました。ニュースによれば、熱中症で何人もの人が救急車
のお世話になったようです。 皆さま、お出かけの際には、くれぐれも熱中症にはお気をつけあそばせ!!



7月12日(水)

  久し振りの韓国。前回訪れたのは、日本が韓国をホワイト国から除外して直後の日韓関係が最も深刻化
 した時期でした。私たち自身も緊張感があり、迎える韓国側の夫のテニス仲間もピリピリしていたように思い
ます。しかし今回は入国手続きもスムーズに短時間ですませることができ、気分もうウキウキでした。
  しかし到着後まもなく問題発生!!関空、羽田、中部、那覇と4か所の空港から仁川空港に集まって、試合
が行われる聞慶に高速バスで行く予定でした。時間になっても メンバーの一人が現れませんでした。
やっと電話が通じ、ターミナルを間違えて2時間も他のメンバーが来るのを待っていた事が判明しました。
私と夫、夫の友人夫婦4人が迷子になったメンバー探しに奔走しました。他のメンバーは予定のバスに乗り
目的地へと向かいました。 言葉の通じない他国で、英語、習いたての韓国語、翻訳アプリPapagoを駆使して、
迷子のメンバーに会い、目的地まで3時間という長距離をタクシーで追いかける羽目になってしまいました。
冒険旅行の始まり~って感じでしたね。前途多難と思いきや、無事に目的地到着の翌日、翌々日の試合は
順調にいき、50歳70歳の部で日本チームは団体優勝することができ賞金もゲット。結果 All Right でした。
 久し振りに会う韓国の仲間たちは、連日熱いもてなしをしてくださり本当に感謝しかありませんでした。
これぞ、日韓交流と思いました。政府同士は悲しいかな、ややこしい問題を抱えて、なかなか思うような関係 
作りを構築できないでいましたが、市民レベルの親交はしっかり深めることができるんだと思いたいです。 
彼らが日本に来るときには、日本、日本人の良さをたくさん感じ取って帰ってもらいたいと強く思いました。 
今回の旅を通じて、私の中で、韓国語学習のモティベーションもぐっと上がりました。
語学は実践が大事、間違っても通じなくてもとにかく使ってみることが大事だと実感した旅でした。 



6月10日(土)

 5月初めに定期演奏会が終わり、ホッとして気が抜けててしまったせいか、ブログ更新に意欲が湧きま
せんでした。2か月ぶりの更新です。
  なにはともあれ、今年の大きな目標が1つクリア出来たこと嬉しく思います。久し振りの大勢のお客様の
前での演奏だったので、情けないことですが少々緊張しました。まあ、人生緊張することもないと気持ちが
だれますよね。多少の緊張感は必要なのではないでしょうか。 
  さてさて、最近は年をとるということは、こういう事だと実感する毎日です。病院通いが本当に増えました。
お薬手帳も大活躍。病院は老人のたまり場、私にとっては別世界、と若干冷ややかな目で見ていた頃の私
を今は反省しています。年と共に身体が衰えて医者の手を借りなければならな状況が訪れるものだ、と
つくづく実感しています。気持ちは若いのに体力がついてこない、いつの世の老人も同じように歯がゆい
思いをしてきたのでしょうね。まだまだ元気でいろいろやりたいと思う日々です。
  先日、関西大学でハングルの検定試験を受けてきました。一番簡単な級ですが、久々に気合を入れて
 勉強しました。定期テスト前の学生気分というところですかね。年をとると記憶力が悪くなって単語を全然
覚えられないと愚痴をこぼしていましたが、時間をかけて繰り返し繰り返しすること、気持ちを追い込むこと 
で意外とやれるものだと実感しました。普段はそこまで自分を追い込んでいないんだということでしょう。 
結果はまだですが、とにかく頑張った自分に拍手です。今月末には夫と韓国に行く予定です。
ちょっとくらい韓国語わかるかな?なんて調子にのっている私です。きっと無理でしょうが、ワクワク感が 
止まりません。
 さあ、次なる目標は、ギターをどう再開するか、と昨年3月から参加させていただいている倉敷のマンド
リンアンサンブルの定演(12月)です。そうそう旅行もジャンジャン行きたいですね。
私の思いは次々と膨らんでいます。



4月14日(金)

  また一人私の身近な人がこの世を去りました。淋しいですね。母が亡くなってから遠くなっていた群馬の
故郷へと姉が私を呼び寄せました。「余命宣告受けちゃた。」と力なく電話してきてから1か月程でした。 
どんな思いで医者からの言葉を聞いたのか、自分に置き換えて考えると本当に胸が苦しくなります。
家族とどうやってお別れすればいいのか、自分の人生をどうやって締めくくったらいいのか、残り時間の
少ないことに焦りを感じたことでしょう。
内気で家にいることが多かった姉。長女だからということで、家に残って、彼女の性格には合わない家業の
商売を継いでくれました。父母が商売で忙しい時には祖父母の介護、そして父母が弱くなれば彼らの介護、
義理の兄と一緒に全部引き受けてくれました。私は何をしてあげたのでしょうか?
お陰で、私は故郷から遠く離れた大阪で自由にやりたいことをしてきました。
お姉さん、本当にありがとう。ゆっくり休んでください。でも少し早いよ。もっと身体大切にしたら良かっ
たのに、と言わずにはおれません。明日、7時間余りかけて、本当に最後のお別れをしに故郷に帰ります。 



3月21日(火)

 うぁ~日本勝った!WBCの準決勝驚くべき勝利。にわか野球ファンの私ですが、最高の気分です。
実は、今日の準決勝の試合、昨日までは朝起きたら見なくちゃと思っていたのに、すっかり忘れていました。
昼前に近くのパン屋に昼食用のパンを買いに出た帰り道、自宅にもうすぐというところで、どこかの家から、
キャーという叫び声が聞こえてきました。家庭内暴力?何か事件?と思い耳を澄ませていると、今度は歓声と
共に拍手が聞こえてきました。そしてやっと、あっそうだ、今日はWBCの準決勝だ、と思い出し、急いで家
に入ってテレビのスイッチを入れると、試合が終わっていてテレビの中の人たちが盛り上がっていました。
試合を振り返って見どころを説明する部分を見て、本当に凄いと思いました。そんなことってあるんだなと
びっくりでした。今回はずっと吉田選手は私的にも一押しでした。大谷選手のメンバーや自分を鼓舞するあの 
雄叫び、気合もすごかった。村上選手は不調でつらいだろうなとずっと思っていたので、逆転タイムリーは
安堵で嬉しさも倍増でした。9回裏ドラマの感動をライブで共有できなかったことが実に悔しかったです。 
夫はテニスの試合のため東京。長男は家族で長野。次男家族は岡山。私はひとり淋しく大阪。
すぐにこの嬉しさを共有すべく、家族グループラインに思いを書き込みました。
どんなに苦しくても絶対にあきらめない
監督の選手(人)を信じる心根、未来に向けて人を育てようとする思い
侍ジャパンが私たちに送ってくれたメッセージー、しかと受け取りました。



3月20日(月)

  この前の土曜日プリズムの喫茶で筒井裕之さんのギターコンサートがありました。キャンセル待ちでチケット
取れました。こじんまりとしたコンサートで、真正面の席が取れて手元もよく見れて良かったです。
八尾にお住いのギターリストであちらこちらで活動していますが、中心は大阪市内だそうです。八尾の久宝寺に
教室を持っています。フラメンコギターの演奏で知らない曲が多かったのですがリベルタンゴも含まれていました。
嬉しい時間を過ごす事が出来ました。1年以上ギターから遠ざかっていますが、気持ちがざわついてきています。
同じテーブルに筒井さんの生徒さんがいて話をしました。私がギターやっていたというと「筒井先生いいですよ。
教室来られたらどうですか?」と誘われてしまいました。う~ん。月3回のレッスンはきついな~。 
5月7日のかわちマンドリーノの定演、同じテーブルの人にしっかり宣伝しました。聴きに来てくださるかもしれ 
ません。来ていただいたお客さんに、楽しいひと時をお届けできたら嬉しいです。 
 先日は、孫が保育園の音楽会でプリズム大ホールで鍵盤ハーモニカを演奏しました。保育園児が大ホールですよ。
小さいながら堂々とした演奏と合唱でした。(動画で見ました) 指導された先生方の苦労はいかばかりか・・・。
孫は保育園の上手な指導のお陰で歌も楽器も大好きです。これから先どんな楽器に興味を示すのでしょうか。 
  陽気が良くなったせいか、気持ちが高揚します。ウキウキ気分でコンサートの後は楽器を手に、弾きだす自分
がいます。単純気質ですね。 ふふふ♪♪




2月19日(日)

  人には平等に死が訪れます。生を受けた者の宿命です。ただ違うのは、それぞれの人に、それがいつ訪れるか
ということです。先日知人の娘さんが39歳の若さでこの世を去りました。病気さえなかったら、自分の力を試し
大きく飛躍できる年頃だったはずです。その期間を病気との闘いで費やし、とうとう息絶えてしまいました。 
どんなにか悔しかったことでしょう。もっと生きたかったでしょう。やりたかったことがまだまだたくさんあった
でしょう。医者から「もう手の施しようがない。楽にしてあげましょう。」と言われた後、親御さんが本人に「家に
帰ろう。」と促したそうです。でも本人はまだ病院で頑張るんだという思いからか「家に帰るのはいやだ。」と拒否
したようです。しかし、先生の家に帰ったほうがいいという言葉に自分の命の限界を感じ取ったのでしょう。
年が明けて家に帰ることになりました。
家に帰ってからは、毎日のように友人、知人が夜遅くまで入れ替わり立ち代わり彼女を訪ねてそばにいてくれた
ようです。気持ちが楽になるように、淋しくないように。その様子を見て、短い人生だったけれど彼女がそれまでに
親の知らない所で築いてきたものを、親御さんは肌で感じとったことでしょう。 コロナ禍で独りで淋しくこの世を
去る人たちがいる昨今、彼女は皆に見守られて天国へと旅立つことが出来ました。 
そこからまもなく、かわちマンドリーノのメンバーの一人の訃報が入りました。いろいろお世話になった方の悲しい
お知らせでした。訃報が続いたので身体から力が抜ける思いでした。私も近頃は終活なんていう言葉が身近に
感じられて、以前より一日一日を大切に過ごそうという気持ちが強くなりました。




1月16日(月)

  突然ですが、先日卓球をしてきました。何十年ぶりでしょうか? 月に2回あるハングル講座の仲間と新年会を
兼ねて、卓球を楽しみました。夫に「また何で卓球なん?」と笑い飛ばされてしまったのですが・・・。
私が一番年長者のグループです。この歳でできるかなと不安に思いましたが、「キャーキャー、ワーワー」言い
ながら少し(?)年下のメンバーと実に楽しい時間を過ごせました。たまにはこんな風に童心に返ることも大切
なんだとしみじみ感じました。卓球の後は、韓国料理。肉の嫌いな私は、韓国料理のお店に行くときは、いつも
お断りをしていたのですが、「肉以外でも食べるものあるから今回は行きましょう。」と強く誘われて、東大阪の
”まだん”というお店に行ってきました。大きなお店で、料理もとても美味しくて、本当に参加して良かったと思い
ました。こんな風に少しずつ皆で外食もできるようになって嬉しいです。
 今年は、夫の関係ですが、ずっとコロナで開催が中止されていたソフトテニスのアジア大会がやっと日本で開催
されるようです。仙台での開催ですが、夫の知り合いも来ます。韓国語でちょっとは会話できるよう、今年は
気合入れて勉強しようかと思っています。老いぼれ頭なのでどこまで上達できるか疑問ですが・・・。
頑張ってみます。



1月6日(金)

                         謹 賀 新 年
  2023年がスタートしました。昨年中は皆様には大変お世話になりました。今年もかわちマンドリーノ
のホームページ充実のため渾身の努力を続けていきたいと思います。宜しくお願い致します。
  コロナウィルス感染症のためここ数年、かわちマンドリーノの活動もかなり制限を受けました。まだまだ
感染者数の減少とはいきませんが、5月には定期演奏会が通常通り開催できそうで本当にほっとするやら
嬉しいやらで、練習にも力が入るようになりました。
今年は兎年でもあるので、かわちマンドリーノにとって「飛躍の年」になればと思っています。
  さてさて、私事で恐縮ですが、私の年末年始の話を書かせていただきます。
 11月末、ポンタカードお客様に無料日帰り旅行をプレゼントします、という招待状が送られてきました。
行先は伊勢神宮でした。同伴者は6000円で参加できました。参加申し込みをして12月中旬に夫と行って
きました。途中、湯の山温泉アクアイグニスに寄り温泉にも入りました。
個人で行ったのではないので、ゆっくり温泉を味わう事はできませんでしたが、初めての場所だったので 
情報を得る良い機会でした。最後に伊勢神宮とおかげ横丁。昨年は孫の事で色々あったので、何とか
2022年乗り切れたことのお礼と2023年もお守りくださいとお願いしました。
そのお詣りの帰路、宇治橋へと向かっている途中、警備の人が近づ、いてきて「天皇陛下の妹さんが来られて
いるので、端によって通路を空けて下さい。」と言いました。呆気に取られて、「えっ、どういうこと? 
天皇の妹?黒田清子さん?・・・!?」 とぶつぶつ言っている間に行列が目前に現れました。
もうびっくりでした。前触れもなく、いきなりのことだったので、不思議な偶然とその偶然に出会えたことの
感動で気持ちが躍りました。伊勢神宮の祭主、黒田清子さんに出会えたということは、何かいいことが起こる
前兆なのかもと勝手に感じてしまいました。また来年は良いことあるんじゃない、なんて勝手に思ったもの
です。夫に「動画とって!」 と叫んでいました。 
  年末は久し振りに親戚が夫の実家に集まり、にぎやかな大みそかになりました。食事担当の私はてんや
わんやでしたが・・・。年が明けて2日、夫と2人だけになったのですることもなくなり、家から1時間
ほどで行ける奥津温泉に日帰りで行くことにしました。穴場でした。
人も少なく貸し切り状態で有形文化財の老舗宿の温泉にゆっくりつかりました。
その後、近くのレストランでランチ。のんびりとした静かな時間が流れました。私たちもこんな時間が嬉しい
歳になってしまいました。 
  さあ、すでに新しい年がスタートしています。活動開始!皆さん、楽器の初弾きは済みましたか?
私は4日に済ませました。5日には初ウォーキング。今年も健康第一で、さあ始動!!
    
                

            奥津温泉入口            奥津荘(有形文化財)



12月25日(日)

  Merry Christmas!とはいえ全然クリスマスとは無縁な生活を送っているシニアの一人なんですが・・・。
昨日、クリスマスイブはハングル講座の最終日でした。講座終了後、仲間とコーヒー、御菓子、ロールケーキで
ささやかなお茶会しました。その時、サンタさんの存在を本当に信じている子が本当のことを知った時、どんな
気持ちになるのかな?なんていうことが話題になりました。我が孫たちも信じています。特に倉敷の一番
年上の孫はサンタさんに手紙を書いたり、遅くまで起きてる子の家には来てくれないんだと、前日は早く寝たり
する程です。いつどんなふうに夢が壊れるのか、その時の彼女の気持ちを考えると不安になるくらいです。
仲間の一人が、「私は、小学校に上がる前にサンタになりすまして手紙を書きました。
もうすぐ小学生なので今年でサンタさんからのプレゼントはおしまいにします。来年からはお父さんお母さん
からプレゼントをもらってください。サンタより。という手紙をプレゼントに付けました。」と言っていました。
早速、その話を息子たちにすると、「もう少し夢を見させてあげます。」という返事が返ってきました。
今朝、クリスマスツリーの下にプレゼントとサンタさんからの手紙を見つけた時の彼女の様子が動画で送られ
てきました。純真そのもので可愛くって夫と涙してしまいました。 
夫は「サンタの正体が判ってしまった時は、サンタさんは〇〇ちゃんのことを大切に思っている人のことを言
うんだよ、って言ってあげればいいんじゃない?」と息子たちに助言しました。
いいこと言うなと、ちょっと夫を見直しました。
サンタの存在に限らず、幼い子どもたちも、より広い世界を知るにしたがって、厳しい現実を見つめなければ
ならなくなる時が来るでしょう。でも、今しばらく純真な心で、夢をもっていてね、と願わずにいられません。
孫は、プレゼントとサンタさんからの手紙が嬉しかったのか、この日ちょっとのお出かけの時も肌身離さず持ち
歩いたようです。



11月3日

                   
  先日、夫の予定が急にキャンセルされて時間ができたため、コスモスを見に藤原京の跡に行ってみようと誘
われました。一部すでに枯れている所もありましたが、きれいにコスモスが一面広がっている所もありました。
たまには、のんびりと一面花、花の風景に自分を置いてみるのもいいですね。大和三山、畝傍山、耳成山、
天香久山に囲まれた眺めの美しい場所。奈良に都が移る前、16年間そこに都があったんですね。
奈良の人に叱られるかもしれませんが、どうも京都に比べると奈良は地味という印象を以前からもっていま
した。しかし歳を重ねるごとに何か気持ちが落ち着く場所と思えるようになりました。
時期的にはちょっと遅かったので、次回はもう少し早めに行けるように、覚えておきたいです。
春は菜の花がきれいだそうです。



10月30日

 急に寒いくらいの気候になっています。秋は演奏会シーズン。少ない my time を演奏会巡りに費やしています。 
モザール、奈良マンドリン、カワイでお世話になった先生の発表会・・・。遠いところの開催もありましたが、刺激を求め
て出かけました。出かけるとなると着ていくものが気になり、いつも面倒でめったにしない化粧をしてみたり、ウーム
やっぱり外出は元気の源。家にこもってばかりでは健康に良くないですね。
 
モザールの演奏会・・・八尾プリズムホールで開催。ラッキィー、近いのが何より。私は、数年前モザールのイタリア演奏
            旅行に同行。私にとって本当にラッキィーなチャンスでした。その時、指揮をされた中村一
            さんが亡くなったことを今回の演奏会で知りました。びっくりでした。穏やかな、ユーモア
             のある温かい方でした。彼の音楽への情熱を改めて知ることとなりました。
            「リベルタンゴ」が大ホールに響きました。私たち”かわち”が演奏したものと少し雰囲気の異
            なる編曲でした。でもやっぱり素敵でした。大栗裕作の「土偶」も迫力ありました。
奈良マンドリンの演奏会・・・聴きたかった「カヴァレリア・ルスティカーナ前奏曲」は期待通りで、良かったです。
              今度私が弾くときは負けないように弾くぞと意欲が沸きました。
              久保田孝作の「舞踏風組曲」変化のある心に響く演奏でした。
              マンドラ、マンドセロ、マンドローネの美しい音色に魅了されました。
もう一つ発表会・・・ ギター独奏、ウクレレ、ギターアンサンブル、マンドリンアンサンブルとたくさんの生徒さんの
           頑張る姿を見ることができました。習い始めてまだ年数の浅い人もいたと思います。難しい曲
           を弾くグループもありました。モザールや奈良マンとは少し雰囲気は違いますが、演奏者の
           音楽への情熱には、変わらないものがありました。生徒さんたちを指導している先生の熱も
           感じました。知り合いにも数人会えて、懐かしい会話も楽しめました。
 
 演奏会は、知らなかった美しい曲に出会えるのがいいです。そしてお馴染みのお気に入りの曲をその時その時の気持ちで
味わえるのがいいです。そして、演奏している人たちの情熱を感じ取れるのがいいです。
少したるみがちな私の気持ちに鞭をふらないと・・・。反省、自省の秋です。
また、いろいろな演奏会にお邪魔しま~す。素敵な音楽に出会えることを期待して。演奏会お疲れさまでした。



10月7日

  急に肌寒くなって、我が身はもうびっくり状態です。ブルブル身体が震えています。世界に目を向ければ、ウクライナ、ロシア
情勢に心がブルブル震える毎日です。戦場では多くの尊い命が奪われ、町が壊滅状態になっています。核使用の危険も
語られ始めました。私はウクライナ応援の立場ですが、ロシアに暮らす善良な市民の苦しみもいかばかりかと思います。
でも、悲しいかな、どんなに戦争反対と思っても、実際の所は、遠い所で起こっていること、他人事としてニュースを見て 
いる自分を感じてしまいます。私の生活はまったく変わらないのですから。 
ロシアという国のやり方、プーチン大統領のやり方、戦争をおさめる落としどころがみえません。
本当にこの先どうなっていくのでしょうか。
先日プーチンに近い議員が「日本の北海道はロシア領!」とか何とか・・・言ったとか・・・。もう本当に何を言い出すのか、
ふざけないでと言いたいです。
歴史を振り返れば、
  1855年に調印された日魯通好条約によって日本とロシアの国境が確認され北方四島は日本の領土とされていました。
しかし第二次世界大戦終戦直前の1945年8月9日ソ連は日ソ中立条約に違反して対日戦に参戦し、日本がポツダム
宣言を受諾し敗戦を認めた後、8月28日~9月5日の間に北方四島をすべて占領してしまいました。
戦争中の混乱の中とは言え、こちらの言い分としては、本当にずるい方法としか思えないような方法で領土を奪われた
わけです。今のウクライナの様子と共通する点があるように思えます。当時北海道もロシアにとられる危険があったよう 
です。終戦後、ソ連軍は千島列島東端の占守島を奇襲攻撃しました。日本軍は武装解除中でした。
当時島にいた軍の司令官の判断で、武装解除命令が出ていましたが、自衛のためソ連軍と戦いました。
多くの犠牲者が双方ともにでました。しかし、ソ連軍の北海道への上陸を阻止できたということらしいです。
日本も第二次大戦では無茶をしたのかもしれませんが、大国の力による攻撃には怒りを感じます。
日本も第2のウクライナになる恐れはないのでしょうか。不安になります。
ロシアにはプーチンのような大統領を生み出す政治的土壌があるのでしょうか。プーチンが失脚しても、似たような人が
国を動かすようであれば国の体質は同じなのでしょうね。人間に欲がある限り地球上に平和を築くことは無理なので 
しょうか。人間の英知で平和を築いていくことはできないのでしょうか。



8月23日

  演奏会に行ってきました。なら100年会館大ホール。マンドリン アンサンブルまほろばの創設者、藤岡正さんの
追悼演奏会でした。ここ1か月、マンドリンを弾くこともほとんどなく、バタバタと一日一日を過ごしていました。
そんな私にとって正に癒しの時間でした。ゆったりとまったりと1時間、2時間と時間が過ぎました。
追悼というテーマのせいか演奏された曲は比較的ゆっくりとした、変化の少ない、穏やかな曲が多かったように
思います。元気な時には、力強い、テンポの速い、変化のある曲を聴くとさらに活力がみなぎり、気持ちが高ぶる
ものです。でも、今の私には静かに聴ける曲がぴったりでした。 
ピアノやフルート、パーカッション、コントラバスなども曲の巾を広げ深みをだす、いい働きをしていました。
合唱団の美しい歌声も。あらためてマンドリンのやさしい音色を美しいとも思えました。
後ろの座席のご婦人が「マンドリンの音って優しい音で、きれいだね。」とつぶやいていました。私が褒められたわけ 
ではないのに、何かちょっといい気分になりました。 
プログラム最後の曲、「日本海大紀行より」は聴きながら、話したことも会ったこともない藤岡さんが、すぐそばで
私たちに語っているような、そんな感覚になりました。
    皆さん、ありがとうございます!!私は長い長い旅に出ました。皆さんに会うことはもう叶いませんが、感謝を
   伝えたいです。皆さんとのお別れには悔しい思いもありましたが、今は穏やかな気持ちで旅を続けています。
   どうか、美しい音楽をいつまでも、いつまでも作り続けてください。ーーーーーー
と、そんなことをいろいろ思い描きながら聴いていました。演奏が終わって団員が全員起立しました。 
ギターを弾いていた女性が目頭を押さえていたように見えました。何か思い出すことがあったのでしょうか。
私もちょっと感傷的になりました。
音楽は、人の心を癒しもするし、パワーをみなぎらせもするし、涙を誘って心の奥にたまった感情を吐き出させ
たりもする、不思議な力を持っています。今それに関われていることが嬉しいです。 



8月15日(月)

  1か月前に4人目の孫ができました。そのため、この1か月間、長男一家と同居しました。上の子は 5歳。
しばらく前は熱がでて預かることもあり、その際は、お昼寝の前に1つ昔話のストーリーを話してあげていました。
定番の「うさぎと亀」、「ももたろう」、「かぐや姫」、「浦島太郎」などです。
どんなに足が早いうさぎさんも油断したら遅い亀さんに負けるね。
立派に大きくなって桃太郎さんは悪い鬼を退治できたね。
小さかったかぐや姫も大きくなって、おじいさんやおばあさんにさよなら言う時が来たね。〇〇ちゃんもそうかな?
浦島太郎さんは約束を破って玉手箱をあけて、おじいさんになっちゃったね。約束は守らないとね。
と言って終わったものです。
  でもどうにも私の中でひっかかったのが「浦島太郎」でした。乙姫様との約束を破って玉手箱をあけてしまい、
太郎はおじいさんになってしまった、という終わりです。
昔話は何か教訓があるのだというイメージを持っていたので、私は孫に「約束守らないと悪いことが起こってしまうん
だよ。」と言って終わりました。でも、待てよ、年をとることが悪いこと? 違いますよね。人は日がたてば歳を、
とる、当たり前のことです。そんなこんなで、この話で何を伝えたらいいのやらと考えてしまいました。
弱いものいじめしたらダメだね。楽しいことばっかりはないよ。村に帰ったら知っている人もいなくなって太郎は寂
しい思いをしちゃったね。そんなことは言えますね。でも、竜宮城と太郎の村は、世界が違うなんて言ったって5歳
の子には分からないでしょうね。太郎は竜宮城で長い間楽しい時を過ごして、結局玉手箱を開けることで現実に
戻った ということですね。人間は時を超えて生きることはできないということなんでしょう。
内容的にはとっても深い内容なんだと改めて思いました。ネットでは昔話というのは必ずしも教訓があるわけでは
 ないということでした。昔から伝承されてきた話なのでこんなことがあったとさ、だけの話もあるようです。
少し気にしすぎたかもしれません。
今回は、孫も字が読めるようになり、図書館で借りてきた昔話を自分で読むこともでき、朗読を私に聞かせてくれ 
たりもします。今は「つるの恩返し」がとても気に入っています。何に魅力を感じているのでしょうか?
何度も読んでいます。実は鶴であった幻想的な女性に魅力を感じたのでしょうか?
尋ねてみたいですが、きっと説明できないでしょう。 



8月1日(月)

  先日夫が奈良の外出先から「玉虫」を持って帰りました。皆さん、実際にご覧になったことありますか?
私は実物は初めてでした。虫は好きではないので、外に出てもほとんど興味を示すことはなく、どちらかといえば避け
たい存在です。玉虫といえば、歴史の本で法隆寺の玉虫の厨子なんていうのを習ったことがあるなと思い出しました。 
色彩的には緑と金色、緑も明るい緑、濃い緑何とも言えない美しい色合いです。見る角度で色が変わります。    
玉虫は幸運をもたらすとよく言われているようです。そんな玉虫が夫の活動場所のテニスコートに現れました。
一旦姿が見えなくなり、どこかに行ったのだと思っていたら、駐車場までついてきて、彼のT-シャツに止まったそう
です。縁起がいいと思い、家にいる孫にも見せようと捕まえて家に持ち帰りました。家族が、一時玉虫で盛り上が
りました。我が家に、いっぱい幸運がもたらされるといいなと思いました。
この日、実は玉虫が我が家を訪れる少し前、私にとっては最悪のことがありました。数日前から喉の調子が悪く、咳も
徐々にひどくなり、行きつけの内科で診てもらいお薬を出してもらいiました。年に数回咽頭に炎症を起こし、咳がひど
くなり、 声が出なくなることがあります。ストレスや疲労が重なるとその症状が出ます。
今回は、コロナワクチン接種のすぐ後に症状が出始めました。そんなこともあってコロナの不安もありましたが、症状
はいつもの感じのように思えました。内科のお薬の効き目が無いように思われたので、いつも行ってる耳鼻咽喉科に
行きました。事情を話したら、「うちでは診察できません。PCRの陰性照明をとってください。市販の抗体キッドは
ダメです。」「いつもの炎症の感じだと思うのですが・・・。」「そうかもしれませんが、診察できません。」
咳で苦しい思いをしているのに、それはないでしょ。とその冷たさにショックを受けて帰宅しました。息子の勧めで、
別の耳鼻咽喉科に連絡すると、診てくれるということでほっとしました。倉敷の息子の所でも同じような症状が出て診て
もらった事があります。当時大阪は感染者が多く大変な状況でしたが、大阪から来た私を快く診察してくれました。
先生、看護師さんは防護服を着ての診察でしたが、実に患者に寄り添った診察をしてくれました。
コロナの状況下、いろいろな理由で診察を断る病院もあってしかたないと思いつつ、我が身に起こるとショックだと思う
のは身勝手かもしれませんね。でも、私は行きつけの耳鼻咽喉科を変える決心をしました。苦しい時に何とかして
あげましょうという医者を選ぶ権利も私にはあるはずです。早くいつもの調子を取り戻したいです! 
玉虫は弱る前に、逃がしてあげました。 
玉虫さん、我が家にぜひともいっぱい幸運をもたらして下さい。 お願いします!!



7月11日(月)

   安倍元総理が金曜日に銃撃され亡くなられました。本当にびっくりして、しばらくは現実感がありませんでした。
日本は安全な国と外国からも評価され、私たちも実際、白昼こんなことが日本で起こるなんて考えもしませんで 
した。要人警護に問題があったのではとメディアが取り上げていますが、現場の様子を見て私もそう思いました。
一般人がしかも拳銃を使って襲撃実行なんて、警護側の人にもまさかという緩みがあったのでしょうか、警護にあた
った人たちの訓練は充分だったのでしょうか、不思議なほど彼らの動きの悪さが動画で見て取れました。 
安倍さんを支持しているわけではありませんが、選挙運動中に暗殺のような形で、一つの命が失われた事がショック
でした。
  安倍さんは、長期にわたって政権に就いていたことで多くの功績も残しました。しかし半面、権力者のおごりから
くるいろいろな問題も引き起こしました。忖度なんていう言葉が横行しましたが、結局は彼が引き起こした事なのでは
ないでしょうか。安倍さんが首相になる前のことですが、日本は一時、短期間で首相がころころと変わり、世界での
日本の信頼が失われた時期がありましたね。しかし、長期安倍政権下では、外国での日本の存在感が次第に高まり、
世界の国々との関係をより良い方向に築けたのではないでしょうか。外交面での彼の功績には目を見張るものが
あったように思います。しかし私たちが知らないところで、人から恨みをかうような闇も抱えていたと思います。
  容疑者はなぜ安倍さんを襲ったのでしょうか?メディアで報じている容疑者の動機が本当なのでしょうか?
ある宗教団体のせいで家族が崩壊して、その団体と安倍さんが関りがあると思い込んで、とのことですが、だったら
その宗教関連の代表者や幹部を狙うのが筋だろうと考えてしまいます。動機にはまだ奥があるように感じます。
  容疑者が社会から孤立した状況にあったこと、彼の行動にブレーキをかける何物もなかったことが気にかかります。
人は、どんなに憎い人に対しても、守るべきものがあることによって理性が働き、おおごとを防ぐものだと思います。 
何かいわれのない不安を感じる事件です。真相を究明してほしいです。
  最近では、ロシアによるウクライナ侵攻、日本に対するロシア、中国、北朝鮮の挑発的行為など、不安を感じる事象
が次々と起こっています。国内、国外どちらも心配です。
世界が日本が大きな恐ろしい流れに向かっていないことを願うばかりです。 



7月6日(水)(2022年)

  気がつけば、前回のブログ更新から早や5か月が経過していました。私の生活の変化がこれほどまでに私の気持ちを揺る
がしていたのかと思うと、我ながら驚きです。文章を書く気がほとんど沸かない状態が続きました。これからは少しずつ改善
されるといいなと思っています。いろいろなことで外出する機会も増えて、気分を切り替えることができているのでしょう。
  今日は、ハングル講座の仲間と映画を見てきました。先日は、ゆすらカフェというお店(民家がお店になっている)
でランチもしました。メンバーは6人ですが少しずつ交流が深まっています。
今日見てきた映画は、「ベイビーブローカー」です。是枝裕和監督の韓国映画です。
是枝監督の映画は、以前「万引き家族」「そして父になる」を見ましたが、共通するテーマを感じ取ることができました。
彼の作品には、人と人の繋がりに温かいものが流れていて好きです。
今回の作品は、赤ちゃんポストをきっかけに繰り広げられる話です。子を捨てる親、親に捨てられる子、子に捨てられる親、
赤ちゃんの命に値段をつけて売買しようとする大人、殺人、ブローカーを現行犯逮捕するために犯人が悪事を働くように
仕向ける警察官、人間の醜さ、弱さ、悪事を行っているにもかかわらず、登場人物一人一人に哀れさを感じて共感してし
まう、そんな 映画でした。一人ではどうにもできない苦悩、絶望感が、人と繋がることで少しずつ和らぎ、心の隙間が埋め
られていきます。さらに、 自分をそして相手を大切な存在と認められるようになっていきます。
最後は赤ちゃんを守ろうとして、みんなが家族のように繋がっていきます。
エンドロールを見ながら流れる音楽を聞き、安堵の気持ちでウルウルしてしまいました。 
韓国の俳優陣すごかったです。カンヌ国際映画祭、主演男優賞ソン・ガンホやっぱり味があってすごい俳優さんです。
たまには映画館の大きなスクリーンで映画を見るのもいいな、としみじみ思いました。
お時間と興味のある方、お薦め映画です。ご覧になってください。



2月7日

  2月に入ってウォーキングの意欲を奮い立たせています。いつものコースですが、いつもと違う発見を求めて歩くように
心がけています。
  先日、銀行から出てきたおっちゃん、歩きながら万札を数えていました。おっちゃん、それって物騒だよ、襲われても知り
ませんよ、って感じでした。今日は今日で、広い空地のど真ん中でおっちゃん用をたしていました。せめてもっと隅のほうで
申し訳なさそうに・・・なら・・まだしも・・・。
いろいろあるもんです。それから、それから、
ウォーキングコースの途中に服を売っている小さな店があるのですが、ショーウィンドウに「閉店特別セール」と大きく書
かれた紙が貼ってあります。1年前も貼ってありました。2年前も3年前も・・・・・。店の前を通るたびに
「閉店はいつなんだろう?」「セールはいつまで続くのだろう?」とにたりとしながら、通り過ぎる自分がいます。
川沿いには桜の木が植えられていて春にはソメイヨシノが満開になる私のお気に入りのコースです。その桜ですが、老木が 
たくさん切り倒されて切り株だけ残っているものが結構あることに最近気づきました。世代交代が進んでいるようです。
枝ぶりも以前のように複雑で力強いものが少なくなっているように思います。今年の桜風景は見ごたえのある風景になるので 
しょうか。不安です。ちょっと寂しいです。
いろいろあるもんです。
今日は業者の人が川に入って、投げ込まれたごみを取り除く作業をしていました。周辺の除草作業も。ご苦労様です。
どうか、平気でこのきれいな環境を壊す行動をとる、心無き人がいませんように。私のお気に入りのコース、いつまでも 
美しくあってほしいとつくづく思いました。明日はどんなことに出会えるのでしょうか。わくわく!!



2月5日

  節分、立春も過ぎ、春の訪れが待ち遠しい今日この頃です。世間では、コロナのオミクロン株が猛威を奮っています。
そんな中ですが先週、少しびくびくしながら念願のミュージカル「ボディーガード」を梅田芸術劇場で見てきました。
 2019年英国版の来日公演の後、日本人キャストで上演が実現!というインフォメーションをネットで見つけました。
その時、何年も前に映画で見た「ボディーガード」の感動を思い出しました。ケビンコスナーのかっこよさ、ホイットニー
ヒューストンの素晴らしい歌声、心に響く曲 「I will always love you. 」などが 頭をよぎりました。
すぐにチケットの予約をしました。公演は3月後半。楽しみにしていたにもかかわらず、その頃から日本中の人々がコロナ
の不安に陥 っていきました。私も例外ではありませんでした。とうとう気分的にはキャンセルを選択せざるをえなくなり
ました。後で知ったことですが、この時5回公演後に開催者のほうで中止を決定したようです。
そして、昨年の秋、再度公演が実現!というインフォメーションを見てすぐに予約しました。しかしまたもやコロナ第6波
到来。不安もありましたが、今回は決行しました。劇場内は満席でした。入場時の熱チェック、劇場内では何回も何回も
マスクの常時着用、会話をしないようにとアナウンスがあり、実際に会場内は静かでした。
映画の感動のほうが強かったかもしれませんが、舞台は舞台で良さがあります。思い切って見に行って良かったです。
その後、私の体調も変化なしです。出演者も大阪公演を無事終了して現在東京公演中です。無事に全行程が終了しますよう 
にと思います。気持ちが暗くなりがちな時でしたが、なんとなく気分がスッキリしたような気がしました。 
最後に流れた曲 「 I wil l always love you . 」 やっぱり心に響きました。いい曲です!!



1月31日

  明日2/1は2022年の旧正月、つまり太陰暦で1/1にあたる日です。夫が子供のころは、夫の故郷は旧正月も祝っていた
ようです。お正月は2回あったということでしょうね。今日は、我が家でも初めて旧正月のために餅を作りました。
お供えも床の間に飾る予定です。明日の朝はお雑煮を食べます。以前ブログに書いたと思いますが、夫の実家では、スルメで
だしをとります。これがおいしいんです。今晩だしを仕込んでおきます。楽しみで~す。
  さてさて、北京冬季オリンピック開会式が近づいてきていますね。テレビで北京の様子が報道されていますが、コロナ対策
のため日本では考えられないような厳戒態勢をしいています。でもきっとオミクロン株はそう簡単には抑えることはできないで
しょうね。選手のためにも大過なく終わることを願っています。フィギュアスケート、羽生結弦の四回転アクセル成功するか? 
ドキドキ、ワクワクこれは絶対見たいです。



1月11日
                                             
          明けまして おめでとう ございます!

  2022年寅年がいよいよスタートしました。冬も本番、夏より冬の方が好き!暑いより寒いほうがまだまし、寒けりゃたくさん
着こんで動けばいいが、何も着ずにじっとしていても暑さはしのげない、なんて言ってた私も、最近は、部屋の暖房を目いっぱい
きかせ、炬燵に入ったきり動こうともしない。「寒くてやってらんない!!」 なんて文句たらたらの毎日なのですが・・・。
さてさて、昨年10月半ばから冬眠生活に入り、頭も体もまったく停止してしまっていました。まだまだ春は遠いのですが、
寅の勢いを借りて、そろそろ動き出さねばとごそごそしだしているところです。
今年は、多くを望まず日常を大切に、小さなことに目を向け、小さなことから喜びや感動を見出す努力をしたいと思っています。
今年もどうぞよろしくお願い致します。 



10月12日

  緊急事態宣言解除後すぐに、那智の滝 → 川湯温泉 → 熊野古道、久し振りに一泊旅行しました。家にこもる日々が続いてんで
ていたので嬉しくて気分が上がりました。 
  那智の滝は水量も多く、力強さを感じました。滝の水は延命長寿の水として尊ばれているそうです。飲めるということで、
一口だけ飲んできました。コロナのこともあって心配でしたが大丈夫でした。那智大社までは石段が、これでもかというほど
ありました。しかし、久し振りの夫との会話も弾み、いつものウォーキングのお陰(?)でなんとか登りきリました。
晩は川湯温泉泊。熊野川支流、大塔川のほとりにあるホテルを予約しました。河原を掘ると温泉が湧き出るとい言われています。
川辺に露天風呂があり、泊り客が少なかったので貸し切り状態でゆっくり入れました。
川湯温泉は、冬は「仙人風呂」と呼ばれる露天風呂が有名なようです。
翌日は熊野古道の散策でした。いろいろなルートがあるのですが初心者向けの人気のコース、中辺路を歩きました。
7.2km、2時間半で目的地、熊野本宮大社に着くコースです。当日はとても暑い日でしたが、木陰では、頬にあたる風が少し
ひんやりとして心地よかったです。平日でしかも緊急事態宣言解除後すぐだったこともあり、出会う人も本当にわずかで、古道を
独り占めしている感がありました。山歩きの後到着した熊野本宮大社は、結構大きな神社でした。
日本神話に登場する神々の母、イザナミノミコトと夫であるイザナギノミコト、アマテラスオオミカミ、スサノウノミコトの4神が
祀られていました。古道を歩き古代の人々に想いをはせ、大社参拝でしっかりとパワーを頂けた(?)ような気がしました。
これからは、元気モリモリ、あちこち出かけるぞ!!おいしいもの食べて、温泉つかって、コンサートもお芝居もいっぱい 
楽しむぞ!!と張り切っている私です。 
   

滝に向かう途中にあった橋杭岩       那智御瀧        ここからスタート




9月29日

  昨日、指揮者さんからメールをいただきました。練習曲「悪魔と天使」をどのように仕上げたらよいかを考えるにあたって、
参考になる曲解説を探していたようです。ちょうどよいのが見つかったので皆さんに知っていただいて曲想をつける際の参考
にという内容でした。以下記載しますので、ご覧になってください。
 
     悪魔と天使
       私たちの心の中は刻々と複雑に移り変わっています。怒り、憎しみ、妬みといった悪魔のような時もあれば 
       それに相反して清々しく美しい気持ちの天使のような時もあります。
       そのはざまでは悩み、葛藤し、そして気持ちを何とか前向きにしようとします。
       この曲は、様々な心の中を表しながら、やがて目標に向かいながら進もうとする、力強い決心のようなものを
       感じる曲です。
       〈 原曲名 〉Demone e Engelo Grande Fantaisie de Concert 〈 直訳 〉悪魔と天使 演奏会用 大幻想曲
       〈 作曲 〉  Henry Bert ( ヘンリー・バート 又は アンリ・ベール )
 
上記の解説を見た後の私の解釈は、( 曲の流れに沿って考えて見ました )
    フォルテシモの曲の入りは、心の中の悪魔、それは怒りであったり、憎しみであったり、妬みであったり、強い感情
    Aー 心の中の悪魔を抑えようとして悩み葛藤する様子
    Bー やがて気持ちが落ち着き、和らぐ 
    Cー 気持ちが転換して明るくなる  
    Dー 目標に向かって前向きに歩み始める
    Eー 心の平静を取り戻す
    Fー さらに力強く前進への気持ちを高めていく
青字の解説を読んで、各自イメージを描くといいのではないでしょうか。またこれからの練習の過程で指揮者からのアドバイス 
もあるでしょう。より良い曲に仕上がるよう、気持ちを込めて演奏したいですね!



9月21日

  今日は中秋の名月、8年ぶりの満月だそうです。
ゆうがた少し雨が降ったので無理だろうと思いながら外に出てみました。見えました!見えました!夫を呼ぶと、我が家で 
一番上等なカメラを持って外に出てきました。たくさんの雲の間から顔を覗かせて輝いていました。早速その美しい姿をカメラ
に納めました。年をとって時間に余裕ができるとこんなこともゆったりと楽しめるんだと実感です。お月見のおだんご用意するの
忘れました。
以前にも月の写真撮って「きれい!」と感激してブログに載せたのを思い出しました。2014~2020年まではわずかに欠
けた名月を見ていたことになるそうです。
      




9月15日

  1か月程前に、3番目の孫の一歳のお誕生日会をしました。母親を切腹に追いやった、コロナ禍の誕生で、みんなに散々心配
をかけたあの孫です。元気に育ってくれていてほっとしています。
皆さんの家でもやっている習慣かもしれませんが、我が家では、一歳の誕生日に一升餅のイベントを行っています。
一升のお餅を子供に背負わせて、 選び取り(子供の前に並べてある品物を取らせる)をさせます。
選び取りは、子供の将来を占う行事です。子供の成長によって、背負って歩く子もいれば、尻もちをついてハイハイで動く子も
いれば、座り込んで泣き出してしまう子もいます。 選ぶ品物も親の望みでいろいろです。我が家では今回は、ラケット、マンドリン、
そろばん、ものさし、辞書、筆 、ボールでした。結果餅を背負って、歩けなかったのですが、ハイハイで前に進み、そろばんをまず
選びました。お金に困らない人生送れるかな?なんて大人は勝手に思っています。3歳半違いのお姉ちゃんは、体育系なので、 
1歳の時、すでに歩けていて、お餅を背負って2メートルほど歩きました。弟はちょっぴりのんびり屋さんです。 
お誕生会は、お姉ちゃんがMCを担当して、仕切ってくれました。ゲームあり、出し物あり、とても楽しかったです。お姉ちゃんの、
誕生会で、私がマンドリンの演奏を2回聞かせたこともあってか、今回はお姉ちゃんがキーボードで2曲演奏をしてくれました。 
いつの間に弾けるようになったのか、びっくりでした。外で遊ぶことが大好きで、歌を歌わせたら音痴で音楽とは縁遠いなと思って 
いたので嬉しい気分でした。婆バカですね。
普段頻繁に会えない我が息子たちの家族どうしの交流もでき、夫の妹の家族も参加して、にぎやかな誕生会になりました。 
昔からの習慣は面倒な面もありますが、大切にしていきたいなあと感じました。 
 
            

 音の出るくす玉で~す。       一歳の孫用、ママ手作りケーキ。    イタリアで買ったマンドリン型の
                   私達はあま~いケーキ食べました!    オルゴール置きました!



9月6日

  昨日、パラリンピックの閉会式がありました。世界中がコロナ、コロナで大騒ぎしている中でのオリンピック・パラリンピックの
日本開催でした。開催までのあのドタバタを考えると何とか終了できたことに主催者でもないのにほっとしています。コロナ感染者は
確かに急増はしましたが、オリンピックだけが原因なのでしょうか? 
日本の立場で言えば、1年延期してもらい、いろいろな準備が整いつつある中で、コロナという難問題を抱えているとはいえ中止
という選択はなかったのでしょう。
  昨日の閉会式は実に活気のあるもので最後まで見入ってしまいました。競技については、この間、オリンピック程長時間視聴する
ことはありませんでしたが、選手の競技する姿を見るたびに奇跡を感じました。パラリンピックの舞台に到達するまでの彼らの精神
的、身体的な努力は壮絶だっただろうと思います。私の考えの単純さを非難する人もいるかもしれませんが、彼らの涙、笑顔を見
て開催できて良かったと素直に思えました。同時に元気を力をもらうことができました。
閉会式も未来に向けて力強いメッセージが感じられました。
我が人生で記憶に残る2回目の東京オリンピック・パラリンピックでした。 
つぶやき:何やら政治家の権力闘争が激しくなっています。菅首相の総裁選不出馬表明驚きました。日本の政界どうなるの??



9月2日

  我が家の猫の額ほどの農園(70㎝2程度)に植えたナスとキュウリですが、ナスは6個収穫した後、残念ながら     
     
枯れてしまいました。キュウリはまだ生きています。すでに29本収穫しています。
うまくいけば後3本くらいはいけるかもしれません。今、スーパーでキュウリが高くて手が出ません。
なので我が家のキュウリに助けられています。美味しいし、無料です。
キュウリ嫌いな孫も家に持って帰って食べたようです。嬉しいじゃないですか。
来年もチャレンジしようと、夫と話しています。
こんな狭いスペースに育った新鮮野菜が、私たちの心をウキウキさせてくれた、今年の夏に感謝!!! 



8月9日



  私のギターの先生の45周年記念、誕生日コンサートが8/8にありました。
中津にある小さなホールで行われました。コロナ対策で100人収容のホールに60人の規模のお客さんで
2時、5時の2回公演でした。先生のファン層は50~70代が多いのかなと、勝手に思っています。
その日のお客さんの年代がそうだったので・・・.。 
先生の指導を受けている2つのマンドリンアンサンブルが前座で演奏させてもらえました。 
演奏曲は「上を向いて歩こう」と、東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」でした。恥ずかしい演奏に
ならないよう皆プレッシャーを感じながら練習しました。退場は「上を向いて歩こう」を演奏しながらという
事で、ギターパートの私達は、ギターストラップを購入して初めて歩きながらの演奏にチャレンジしました。
本番は大きな問題もなく、まあまあの出来栄えだったと思います。何も目標が無い時で、コロナの影響も
あって休みがちな人も多かったのですが、ワクチン接種もほとんどの人が終了し、先生のコンサートに出演できると決まって皆元気復活
でした。先生のギターの音色を聞きながら心が洗われるようでした。懐かしい曲の数々。ギターでBGMを演奏しながら金子みすゞの詩を
朗読。映画ひまわりのストーリーを短く、笑いも入れながら語り、盛り上がったところで「ひまわり」を演奏。甘い歌声の弾き語り
などなど時間を忘れてコンサートを楽しみました。
先日、青山忠先生の指導の下、活動しているマンドリンアンサンブル「リブレ」の演奏会にも行きました。内容はまったく違ったも
のでしたが、素敵な音楽に触れてたくさんの刺激をいただけました。自分で演奏する楽しみだけでなく、コンサートや演奏会で音楽を
心静かに、あるいは心躍らせて楽しむのもいいものです。少しずつそんなことができるようになっているのでしょうか? 
それともコロナのせいで、また閉ざされていくのでしょうか? 
  昨日は帰宅が午後8時くらいで、くたくたでしたが気持ちは充実感でいっぱいでした。
その後寝るまで、グループラインはコンサートのことで大賑わいでした。 



7月16日

 ご無沙汰しております。1か月ぶりのブログ更新です。文才のない私にとって話題をピックアップするのが少々苦しくなってきてい
ます。続けていくには、気負わないことだと分かってはいるのですが、ついつい面白いことはないかな?と欲張ってしまうので書け
なくなっています。  さてさて、今日は最近私の気持ちが少しだけワクワクしていることを書こうと思います。
 私のような退職組の人たちがあこがれることの1つに、レンタル農園での野菜作りがあります。私の知人も夫婦で季節の野菜作り
を楽しんでいます。現役時代のように仕事であくせくすることもなく、ゆったりと毎日を過ごし、新鮮野菜で食卓を賑わす、なんか豊か
なゆとりを感じます。が、同時に私にはできないなあと思ってしまいます。
夫は田舎育ちなので田舎での生活がいいとよく言います。夫の両親はもういませんが、暮らそうと思えば暮らせる状態です。
畑も田んぼもあります。ただ野生の動物が出てくるので対策を講じなければ野菜も荒らされてなかなか収穫できないのが現実です。 
私は、田舎での生活にどうしても魅力を感じません。夫は冗談に「じゃあ、別居か.......」というのですが。 
その夫が、大阪の我が家で農園をレンタルするでもなく、家の敷地のわずかな、わずかな部分を利用してブドウ、みかん、ナス、 
を育て始めました。以前にブドウとミカンの写真を載せました。ピオーネはダメかもと書きましたね。やっぱりだめでした。その場所
に今度はナスとキュウリを1株ずつ植えました。最近、実がなり収穫できたんです。ナス2つ、キュウリ1本。シャインマスカットも元気 
に育っています。私は、育てることに関しては何にもしていません。毎日眺めて、時々水やりして、収穫したものを料理して食べる 
最役です。最近は、毎日大きく育っていくナスやキュウリを見てワクワクする自分がいるのに驚きです。
近所で、玄関のドアの所にアーチを作ってブドウを育てているお家があります。毎年収穫しているようです。先日見ると白い袋がかぶせ
てありました。結構な数です。我が家のブドウもつるがぐんぐん伸びています。収穫はいつでしょうかね。ワクワクします。 
 
        

こんなに狭い菜園     甘く煮たよ!       曲がってる!      ぶどうの蔓が伸びてる!



6月14日

  皆さん、お変わりありませんか?天気の変化が激しく体調を崩しやすい時期ですが、いかがお過ごしでしょうか?
コロナに対する医療の状況は依然として厳しい面もありますが、感染者数も少しずつ減ってきているように思われます。
ワクチン接種もスピードアップしているようです。オリンピックへの動きも活発になってきています。
オリンピックを何とかやろうとしている人たちと中止にすべきだと言っている人に2分されています。オリンピックをコロナ過で
やるのなら、ワクチン接種ももう少し早い時期に政府、厚労省、医師会などの医療組織がもっと真剣にタッグを組んで取り組む
べきだったと思います。何が原因でこうも日本の対応が遅いのか分かりませんが......。日本はすべての面で平時の感覚から
抜けられないんでしょうね。ワクチン接種が進みオリンピックの開幕が近づくにつれて、オリンピック開催は絶対危険だと言っ
ていたメディアの論調が、最近は少しづつゆるくなってきているようにも思えます。我々国民はどうしてもメディアの論調に流さ
れる傾向があります。私もその一人かもしれません。、怖いぞ!怖いぞ!と言われ続けると気持ちが縮んでしまいます。
「正しく恐れる」という言葉をよく聞きますが、正しくが抜けて頭っから恐れちゃう人もいますよね。
 さて、先日ブログでコロナワクチン接種予約の苦労話を読んでいただきましたが、土曜日の午後に接種受けてきました。
実は、前日のメディアでの情報で、ワクチン接種4時間後に体調が急変して70歳代の女性が亡くなりました、という悲しい事実
を知りました。2回も3回もそのニュースに触れたので、さすがに次の日が接種だったのでチャンネルを変える程不安でした。 
当日の午前中は、全く気の小さい話で恥ずかしいのですが、落ち着きませんでした。接種会場には40分程前に到着。、 
送迎のバスもでていました。私以外にも早めに来た人がたくさんいました。その人たちの姿を見て不思議と少し気持ちが和ら
ぎました。会場にはスタッフの人たちがたくさんいて流れはとてもスムーズでした。ただ接種する医者は5人ほどだったと思い
ます。少ないなというのが印象でした。会場に到着してから経過観察で待機する時間を含めて45分程で終わりました。
外で待っていた時間もあるので実質30分ちょっとでした。注射自体はほとんど痛みがなく、打った後ファーと腕が温かくなった 
ように思いました。その後もしばらくは痛みがなく、4時間後くらいに痛み出しました。当日は少し早めに寝ました。翌日昼過ぎ
頃から時間が経つごとに痛みが和らぎました。2回目の接種が3週間後にあるのに、これからは今まで自粛していた活動が 
できるようになるんだ、という嬉しさで何かうきうきした気分になってしまいました。
 8月には、ギターの先生のコンサートの前座で私たちのグループの演奏をさせてもらえることになりそうです。
 9月は布施マンドリンでロビーコンサートが計画されています。今まで活動できなかったもやもやをパッと解消したいです。
ワクチン効果かな??オリンピック中止すべきと言ってましたが、なんかワクチン接種進んで対策ちゃんとすれば何とかできる
んじゃない、なんて思えてきました。甘いかな?? でも、パブリックビューは要りません。みんなテレビの前で楽しもうよ。




5月26日

  皆さん、おうち練習進んでいますか?「えっ、いまいち・・・力が入らなくて・・・ですって!だめですよ!」とわが身にも言い
聞かせているところでございます。さて、さて、今日は指揮者さんからの投稿があったので皆さんに紹介させていただきます。
鈍った練習意欲に少しは「喝」を入れてください。
 
 椿姫の投稿に触発されて、今回演奏することになりましたジャコモ・プッチーニ作曲の「私のお父様」について掲載させていただき
ます。「ポエーム」「トスカ」「蝶々夫人」など数々の傑作オペラで知られるジャコモ・プッチーニは名旋律を繰り出す天才です。
中でも「ジャンニ・スキッキ」に出てくる「O mio babbino caro ( 私の愛しいお父さん)」はプッチーニの才能に、恐らく神が加護
した、若い男女の恋を見事に解決するさまをコミカルに描いた喜劇。 
実は、傾向の異なった3つの一幕ものオペラを連続して同時に上演する「三部作」の最終、第3番目の演目として1918年12月
14日、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で初演されました。       (インターネットより抜粋)
 演奏する際に皆さんに取り組んでいただきたいのは、8分の6拍子でゆっくりと歌い上げる曲ですが、途中で速度をゆっくりと
する箇所が出てきます。すぐにa tempo となりテンポが戻りますが、ここをいかに皆さんと気持ちを一つにして演奏するかがポイン
トとなります。実はその箇所で rit. (リタルダント)と rall. (ラレンタンド) の演奏指示が出てきます。
どちらも「だんだん遅く」との意味ですが、rit.(リタルダント)は遅くなってしまう(感覚)、rall.(ラレンタンド)は遅くする(感覚)
とのことです。                                (インターネットより抜粋)
 正直まだそれが分かる域には達していませんが、そのことを意識しながら指揮をしようと思っています。
それとタイトルですが、一般的には「私のお父様」か「私のお父さん」ですが、編曲された中川信良さんでは「ああ、いとしのお父
様」となっているので少し違和感がありますがそれにしました。スタッフの皆様よろしくお願いします。
 
 「ジャンニ・スキッキ」というオペラはイタリアのフィレンツェを舞台にしたオペラだそうです。私たちが演奏する曲は、何か物悲しい
曲ですが、オペラの内容は決して悲しいストーリーではなく、ハッピーエンドの歌劇だということです。
ジャンニ・スキッキというのはお父さんの名前のようです。愛する人との恋のためなら大好きなお父さんに背いてもいいという娘心を
歌った曲です。よく言われることですが、父親の娘に対する気持ちって、娘の恋人に嫉妬すら、ちょっときついですか?やきもちすら
感じるようですね。でも娘としては、お父さんは好きだけど、その好きと彼を好きとは全く違うんだ、今は彼のほうを優先したいんだという
ところなんでしょうね。そんな父娘の機微な心の動きも念頭におきながら曲を弾きたいものですね。
参考に、ジャンニ・スキッキの中で歌われる「私のお父さん」の歌詞をネットで見つけたので読んでみてください。
        ああ愛するお父さん  私は彼を愛しています、とても素敵なひとなの  だからポルタ・ロッサ(通り)へ行きたいの
        指輪を買いたいの!  そうよ、とても行きたいの   そして私の恋が叶わないなら  
        私はポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)に行ってアルノ川に身を投げるつもりよ!
        身を焦がす想いがとても苦しいの!   ああ神様、私はむしろ死んでしまいたいです!
        お父さん、分かって、お願い!   お父さん、分かって、お願い!
お父さんの気持ちはどうなんだろうと思うと同情しちゃいます。でもハッピーエンド、ハッピーエンド!
お父さんが娘のために 気持ちをぐっと押し殺すんでしょうね。
 
練習が再開されれば、「ああ、いとしのお父様」の楽譜が改めて配布されます。前回配布されたものとどう違うのか楽しみですね。



5月22日

  20日、21日は長い、長い2日間でした。ほとほと疲れました。というのは、20日は我が家の近くの医療機関でのコロナのワクチン
予約ができる日でした。夫と共にそれぞれのパソコンの前に座して開始時間を待ちました。30分前からそわそわし出して、10分前
には他に何も手につかず、じっと画面を見つめていました。いよいよ1分前、マウスを握る手に力が入りました。今だと思いクリックするも
反応なし。「えーだめじゃん!何で!!!!」 先に進めません。30分頑張って夫はあきらめてしまいました。私は2時間粘りました。  
画面が進んで、必要事項の入力までいきました。市の予約は操作が簡単なのですが、私的な医療機関で、しかもかかりつけ医では
なかったので入力事項が結構ありました。10分以内に入力が完了しないと無効になりますという表示が出てますます緊張しました。
前もって入力する項目がわかっていたらメモをとっていたのですが、それもありませんでした。
自分の携帯電話の番号も暗記していなかったし、ましてや緊急連絡先の夫の番号など聞かれてもすぐにでてきません。
携帯内臓の電話帳を調べようと思ってサイトを離れてしまったら、もう元のサイトに戻れなくなりました。結局当日はサーバーがダウン
して多くの希望者が予約できず、翌日も予約受付できるようになりました。これがワクチンとの闘い一日目でした。わずか2時間と他人は
 言うかもしれませんが、あの不思議な緊張感と、うまくいかなっかった落胆と、自分の準備不足へのいらだちとで疲労は半端なかったです。
その後は気が抜けたというか何もする気になれませんでした。 しかしそうもしていられません。明日のために作戦を立てねばと気を取り
直しました。
  ワクチンとの闘い二日目。この日は市の集団接種の予約日でした。昨日予約に失敗した医療機関の予約も可能です。
とりあえず市の予約を優先することにしました。前日、コロナのため出勤が隔日になっている息子の休みを確認して応援に来てくれる
よう頼んでおきました。夫は自分のを、息子と私は二人がかりで私の分に挑戦しました。あっという間の出来事でした。開始後4分で
予約は終了しました。「やった!!とれた!」息子の素早い操作で4分内に私の分はヒットしました。息子に感謝です。6月の中旬に
予約がとれました。さあ、夫の分をどうするか?かかりつけ医は予約できるのかどうか電話するも不通。
他府県にいる次男夫婦も携帯とパソコンで参加してくれるということで、IT 時代のすごさを感じました。
とりあえず昨日予約に失敗した病院のインターネット予約が復旧してなかったので、その病院も含めてあちこちに電話しまくりました。
そうこうしているうちに 次男のところから、我が家のかかりつけ医の情報が入ってきました。早速電話すると今度は繋がって、予約できる
とのこと、今日は終了しましたが明日朝、直接来てもらわないと予約できないかもしれませんという応答でした。
明日並ぶことを覚悟して我が家の家族ぐるみのワクチンとの闘いを一旦閉じました。しかし私の気持ちの中で昨日予約に失敗した病院の 
サーバー復旧はどうなったんだろう?という思いが残っていました。何気なくサイトを開けると復旧していました。まだ残っている枠があった
ので大声で夫を呼んで手続きをしました。夫の希望していた日の最後の1枠にヒットしました。家族みんなで大騒ぎで喜びました。 
執念の勝利??? 何はともあれほっと一息。あとは接種後の副反応がないことを祈るばかり。
あーーーーーーー本当につーかーれーたーーーー!!!




5月1日

  コロナのため、全体練習が中止になっていますが、次の演奏会に向けて演奏曲は決まってきています。
現在はホームステイの下でそれぞれが個人練習を頑張っている状況です。今回は、現段階で決まっている曲、ジュゼッペ・
ヴェルディ作曲の「椿姫」について書こうと思います。 
  実は有名な「乾杯の歌」は知っていましたが、私は「椿姫」について本当に無知でした。曲を弾くにあたって、どんな気持
ちで弾いたらよいか、まずはオペラの内容を知っておく必要があると思いました。 以下調べて簡単にまとめてみました。
 
  これから起こる椿姫の悲劇を暗示させるメランコリーなメロディーが流れます。音楽の深さが感じられます。
                             ・・・・・・ 第一幕前奏曲
  パリの社交界。高級娼婦ヴィオレッタは青年貴族アルフレッドと出会います。集まってきた人々は「乾杯の歌」を歌い、
広間でにぎやかにダンスが始まります。          ・・・・・・ 乾杯の歌
  アルフレッドの情熱的な口説きにヴィオレッタは恋心を抱き始めます。別れ際にヴィオレッタは、アルフレッドに椿の花
を渡し明日再び会うことを約束します。パーティーが終わり、一人になったヴィオレッタは初めて感じる恋心を歌い上げます。
                             ・・・・・・ ああ、そは彼の人か  花から花へ
  社交界から去り、二人はパリ郊外の田舎で暮らし始めます。しかし暮らしは貧しく大変でした。しばらくして、アルフレッド
の父親が訪ねてきて「息子と別れてくれ」とヴィオレッタに頼みます。彼女は事情も語らずアルフレッドのもとを去ります。
何も知らないアルフレッドはヴィオレッタの裏切りに怒って絶望します。
 しかし、真相を知ったアルフレッドは再びヴィオレッタのもとに戻ります。そして愛の二重唱を歌い上げます。
                             ・・・・・・ パリを離れて 
 再び出会えたことを喜びあうのも束の間、アルフレッドの腕の中で病に侵されたヴィオレッタの命は尽きてしまいます。 
                              ・・・・・・ ENDING
 
 さて、皆さんは「椿」の花言葉を知っていますか? 赤い椿ー謙虚な美徳  白い椿ー完璧な美しさ  ピンクの椿ー慎み深い
だそうです。そして怖い花言葉も、それは「罪を犯す女」。フランスでは、「椿」は商売女にたとえられることがあるようです。
  少しイメージが膨らんできました。この悲しいストーリーを思い出しながら練習してみることにしましょう。 
無理かな???   多分、無理でしょう(笑)



4月25日

  3回目の緊急事態宣言が発出されてしまいました。変異株のせいで感染が急速に広がっています。
ワクチン接種はたいして進んでいないようです。高齢者の接種が始まっているにもかかわらず、医療従事者の接種がまだまだ
だって、一体どうなっているのでしょうか。先日調べたときは、医療従事者の15%しか接種が終わってないとか。
まずは、病人の治療にあたる医療従事者の接種を終わらせなくてはだめなんじゃないでしょうか。また4月から新しく働き始める医療
従事者のワクチン数を考慮していなかったとか、政府、厚生労働省しっかりしてくれよと怒りがこみ上げます。
また、接種の予約をしていた高齢者が接種会場に来なかったのでワクチンを廃棄したとかいう話も聞きました。
充分あるわけではないのだから、そこにいるワクチンまだの人に打ったらいいのにと思ってしまいます。マニュアルどおりでないと
先に進めない日本人の悪い傾向。国産ワクチンだって日本の医療技術、科学技術をもってしたら、日本の開発が世界で遅れを
取ることなどないと思うのだけれど、それをはばむ 何かが日本社会の仕組みの中にあるんだと思います。
成果がすぐに出ることにはどんどんお金をつぎ込んで、長い時間とお金のかかる研究開発を日本は軽んじてきました。
今そのつけが回ってきたんでしょう。 日本社会の仕組みのどこがどうよくないのか冷静に見直す必要があるのではないでしょうか。
こんな体制で、危機に陥った時、日本は本当に大丈夫なのか不安になります。  
 さて、今日NHKのワールドニュースで、インドのコロナ状況が大変なことになっているという記事を見ました。土曜日には新規感
染者数34万人、死者数は2600人以上。日本とは桁が違います。ここ数日は毎日のように感染者が30万を超えているようです。
ワクチンが効かない可能性もあるとか、血中酸素量が低下して酸素補給しなくてはいけないのに、酸素供給が間に合わず、感染者
がバタバタとなくなっているようです。生き地獄とはこういう状況なのでしょうね。 
驚いたことに、このインド型の変異株が日本でも5件確認されたということです。
こんな中で、オリンピックをどうする?とかテレビでやっていますが、今そんな状況ですか? 
ワクチン接種も進んでいない、感染を抑えるために人の流れを抑えましょうと言ってもお構いなしの人が大勢いる、政府も思い切った
政策をうてない、 今の状況では私は開催に反対です。 まったく気の重くなる話ばかりです。
  気分を変えましょう。我が家で昨年植えたブドウとミカンの苗木を見ていただきましょう!
           
 ミカン 白い花が咲いている        残念 変化なし ダメかも       葉が出て大きくなっている
 
収穫できる日は来るのでしょうか。毎日眺めるのも楽しみの一つです。ステイホーム、楽しみもないとね。



4月6日

  お久しぶりです!前回のブログ更新後1か月が経ってしまいました。言い訳をさせてください。実は新しいパソコンを購入し
まして慣れるのに少々時間がかかりました。今のところ快調で、前のパソコンで感じていたストレスがないのが何よりです。
  さてさて3月の休日に、我が家に遊びに来ていた孫を連れて夫のテニスのインドアの試合を見に行きました。お天気も良く
散歩がてら体育館まで散歩しました。孫にとって、じいちゃんのテニスを見るのは初めてのことでした。
体育館に入るとちょうど夫の試合が始まっていました。適当な時間 に行ったのですがちょうど良いタイミングでした。
ラケットから打ち出されるボールのポーンポーンという小気味よい音が体育館に響きわたっていま した。
孫は 「じーちゃんすごいな!すごいな! がんばれ!!」 と大きな声で応援しました。
実は負けかけていた試合だったようで、孫の声を聞い て奮起したそうです。おかげで「勝てた!」ともらしていました。
  その試合が終わっていい気分で私たちは家に帰ったのですが、その後に大変なことが起こったのだそうです。
クラブのメンバーの一人が、試合の途中で倒れ、泡を吹いて高いびきをかき出し、心拍停止状態になったのです。
たまたま消防士をしている選手が試合に参加していたので、彼がAEDと心臓マッサージで救急車が駆け付けるまで対応し
てくれたそうです。素人がどんなにAEDの使い方を練習したところで、その状況に出くわした時どれほどその練習が役に立
つかといえばそれは実に疑問です。とにかく動揺して思うように練習したことが思い出せないのが現実でしょう。
人の運命とは不思議です。 
消防士さんがいて適切な処置をしてくれたこと、救急車の到着が早かったこと、救急病院が近くにあったこと、そんなラッキー
が重なって、命を取り留めることができました。、しかも後遺症も残らず順調に回復に向かっているとのこと・・・。 
 一つの命が救われました。 孫にとってもこの場面に遭遇しなかったことで、テニスはかっこいいもの として彼女の中に残せ
たのではないでしょうか。夫も含めて、選手の皆さん無理をせず好きなことを楽しんでくださいね。
  テレビで最近目にしますが、水泳選手の池江璃花子が白血病に打ち勝って、水泳界に復帰したことも感動的です。
病気になる前の彼女の栄光がすごかった分、病気がわかった時の絶望は想像を超えるものだったと思います。
よくぞ乗り越えたと、画面に映る彼女を見ていると胸が締め付けられます。
病気になるのも運命、打ち勝つのも運命。ただ言えることは、いただいた命は精一杯大切にしたいです。
春なのに、春なのに、そんなしんみりとした気持ちになっています。



3月3日

  今日はひな祭りです。先日私が参加している英語クラブでお雛様のことが話題になりました。
あるメンバーは4人孫娘がいて、娘が置いていった7段飾りのお雛様を孫たちのために毎年、時間をかけて飾っているとか。 
男雛はどっちに置くんだったかな? 女雛は?と記憶をたどりながら・・・。 
  そんな話題を聞きながら、数年前に行った奈良の高取町の「町家の雛めぐり」を思い出しました。高取町では、古い民家
が多く、古くからそれぞれの家に伝わるお雛様を飾って観光客に見せるイベントを開催しています。
自由に家に入ってお雛様を鑑賞出来ます。また、メイン会場には山のようにお雛様が飾ってあってボランティアガイドさんが
いろいろと説明をしてくれました。我が子は男ばかりだし、私自身は3人姉妹でしたが、お雛様など買ってもらった記憶があり
ません。ガイドさんが話してくれることは、初めて知ることが多く、大変興味深かったのを覚えています。 
  お雛様には京雛(関西雛)と江戸雛(関東雛)があり、京雛は向かって右が男雛、向かって左が女雛、関東雛は位置が逆に
なります。上から2段目より、三人官女ー五人囃子ー随臣である右大臣、左大臣ー従者である仕丁と置かれます。
仕丁の持ち物についての話は特に印象的でした。関東雛では、江戸から京都の御所に行かれるので、持ち物は日傘、履物台、
雨傘だそうです。京雛は、御所のお掃除をするので熊手、ちりとり、ほうきなのだそうです。 なるほどと思いながら聴きました。
仕丁以外は、表情は豊かでなく、のっぺりとしていますが、仕丁は庶民なので喜怒哀楽の感情が表現されています。
怒り顔(顔が赤くなっています)、泣き顔、笑い顔。 
ひとつひとつの人形をじっくり見ると面白いし、日本文化を感じ取ることができます。最近は家の事情もあってか、じいちゃん、
ばあちゃんに7段飾りのお雛様をねだる、若いパパ・ママは少なくなっているのではないでしょうか? 
  今日は、孫娘たちに動画でひな祭りのメッセージを送りました。 
 ♪ あかりをつけましょ、ぼんぼりに、お花をあげましょ、桃の花・・・・ ♪ かわいい歌声の返信が届きました。にっこり!



2月21日

  昨日、テレビのトーク番組「サワコの朝」に西川悟平という名のピアニストが出演しました。私は彼のことを知りませんでした。
大阪堺出身のピアニストで、アスリートや楽器演奏者に多いといわれる「ジストニア」という脳の病気を患っています。 
彼が抱えている病は、普段動く10本の指がピアノの鍵盤をたたこうとすると無意識に筋肉がこわばって動かなくなる病気です。 
一時は両腕が動かなくなったこともあり、リハビリの効果で現在は左手2本右手5本の7本の指でピアノを弾いています。 
練習すればするほど病状が悪化し、心が折れそうになった辛い時期もあったそうです。それでもピアニストを続けられたのは
子どもたちの無邪気で純粋な心のお陰だったと語っていました。「音楽教室で教えた子どもたちが ”ひんまがった” 僕の指を 
見てもまったく気にもせず無邪気にピアノに合わせて元気に歌ったり踊ったりしてくれた。そんな子どもたちに勇気をもらった。」
のだそうです。 すばらしい話術で、彼のちょっと変わった経歴といくつかのエピソードを披露してくれました。朝のひと時を楽しく
過ごすことができました。
  今まで体の大きな悩みもなく幸せな生活を過ごしてきましたが、最近では病院に駆け込む回数も増えてきて気持ちが重くなる
ことも増えました。しかし、西川悟平さんの「逆境をプラスにかえる」という人生観に心動かされ、現実と向き合って、現実を受け
入れながら、でも前向きな気持ちにスィッチを切り替える、ウーム難しい!でも目指そう!そんな心境になりました。
  番組の最後に、彼のピアノ演奏がありました。若くして自ら命を絶ったアメリカ人ピアニストが作曲した winter という曲でした。
もの悲しいメロディーがジワーッと心に染みました。テレビ画面のサワコさんの目に涙が・・・私の目にも、一緒に見ていた夫の
目にも・・・。 「朝から俺たち何してるんだろう!」と夫がつぶやく、そんな一日の始まりでした。
 (You Tubeで彼の演奏聴けますよ。トークも。本も出版してます。)



2月3日

  節分の豆まき動画が届きました。孫娘は鬼に力いっぱい豆を投げつけ大はしゃぎです。息子は汗だくになって鬼を演じ
きったようです。昔から続く日本の文化を子どもたちに伝えようと頑張ったのでしょう。
夫は、息子たちにこんなことをしてあげたでしょうか? まったく記憶にございません!
ちなみに、孫娘の家に来た鬼は、コロナ対策のためかマスク着用でした(笑笑)。



2月2日

  2021年も2月に突入です。昔から1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると言われるくらい、時の流れが速く感じられる
時期です。確かに1月はあっという間に行ってしまいました。 
  先日、コロナのせいで2ヶ月もお休みをしてしまったギターのレッスンに、少し不安を抱きながら行ってきました。
教室は梅田にあるのですが、駅前第三ビルは昼食時にもかかわらず、シャッターの下りている店が多く、人の出も少なく静か
でした。感染者数も減ってきたので、久し振りに梅田に出てきた私ですが、皆自粛してるなあと実感しました。
今、個人レッスンは「第三の男」、合奏は「碧空(コンチネンタルタンゴ)」と「ハウルの城よりー世界の約束~人生のメリー
ゴーランド」をしています。休んでいる間、合奏はライブ配信をしてくれたので、家で参加者の音を聞きながら合わせることが
できました。便利な世の中になりました。しかし、やはり教室に行ってみんなと生の音に合わせるのが一番だと改めて思いま
した。気持ちが入り、楽しかったです。先日もかわちマンドリーノの演奏会が行われましたが、思い切りマンドリンが弾けて 
疲れましが充実して楽しかったです。すでに気持ちは次の新しい曲への期待でいっぱいです。 
音楽 万歳!! 音楽 最高!!
ちなみに今日は節分、明日は立春。皆さん、もう寒さもピークです。これからは春に向かって季節が移っていきます。
春は気持ちがワクワクしますね。春をじっと待っていた生き物が次第に動き出します。 
緊急事態宣言が早く解除され、ワクチン接種が無事にスタートし、心から喜べる春を迎えたいですがどうなるでしょうか???



1月8日

        明けまして おめでとうございます!    今年もよろしくお願い致します。 
 
  年が明けて早1週間が経ちました。コロナの勢いは衰えるどころか、ますます激しくなっています。再度、緊急事態宣言が発
令されるでしょう。しかしどこまで国民に感染減少のための行動を促せられるのか疑問です。感染防止策を一生懸命ずっと実行
している人がいる一方、大丈夫、大丈夫、やりたいことは我慢しないよとマイペースを崩さない人もいます。厳しい年明けです。
  さてさて、そんなことばかり言っていても仕方がありません。話題を変えることにしましょう。
我が家の夫の部屋の書棚に「ポーの一族」という漫画が5冊並んでいます。4冊は今から45年前の日付が記されています。
ページは黄ばんで時代を感じさせます。1冊はやけに真新しいものです。知人に貸したとき1冊紛失して、最近その紛失分をやっと
見つけて買い足したそうです。 実はこの本は夫の愛読書で、学生時代に初めてこの本と出会い、以後何回も読み返したようです。
私は、少女マンガが愛読書の1つって何なんだ!! とずっと思っていました。読んでみる気もしませんでしたが、先日その漫画
の作者萩尾望都と彼女の作品について取り上げたNHK・Eテレの番組があり、それを見て大変興味をもちました。
彼女は少女マンガに革命を起こした人物と評されています。 
彼女の描く漫画は、まさに文学であり、哲学であり、読者の心に投げかけるものの深さに驚かされるということでした。
彼女は幼い頃から夢想の中で生活する変わり者で、親からもすんなり受け入れてもらえない程、奇才の持ち主だったようです。 
すごいことを成しうる人は、やはり幼い頃から非凡なんでしょうね。
遅ればせながら、「ポーの一族」を手に取る事となりました。 
今、2巻目です。はまりそうです!絵はまさに少女漫画です。でも、内容は・・・。



12月31日

  あと数時間で、コロナ、コロナで明け暮れた2020年も終わります。今年は、かわちマンドリーノにとっても受難の年でした。
新年に希望を託し、まずは1月31日の特別バージョンの演奏会をやりきって、次のステップに力強く進んでいきましょう。
1年間、薄っぺらな内容も多かったですが、ブログを読んただいた方に心から感謝します。 
来年もどうぞよろしくお願いします。かわちマンドリーノの更なる発展を願って2020年を閉じたいと思います。
皆さん、良いお年を!!! 



12月28日

  今「麒麟がくる」がおもしろい!皆さんの中で、ご覧になっている人も多いでしょう。
日本の歴史で戦国時代というのは変化が多く、私の興味をそそる時代です。その時代に有名な武将がたくさん登場しますが、
明智光秀は主君を討ち取った謀反人とか三日天下に終わった武将とか、あまりいいイメージの人物ではありませんでした。
その見方を変えたのがこのドラマでした。なぜ本能寺の変が起きたのか、や明智光秀の生涯には謎が多いということですが、
最近はテレビでも明智光秀を取り上げる番組がけっこうあって、見つけると録画して見ています。スマホでも話題にするサイト 
があり開いて見たりもしています。 信長のブレインで頭の切れる人、生真面目でどちらかというと形式を重んじる人、信長とは
きっと正反対の性格だったんだろうなと推測します。でも信長は光秀を信頼していたし、信長の性格を一番分かっていたのは
光秀ではないかと思います。本能寺の変が何故起こったのか、光秀は信長を恨んで、本当に信長を倒して天下をとろうとしてい
たのか? 私は、不思議で本当に謎を感じます。諸説ある中で「麒麟がくる」は結局のところどういう展開で本能寺の変を描くのか
 楽しみです。ちなみに私の夫の説は、ライバル木下藤吉郎の陰謀に光秀がはめられた、光秀を討ち取った藤吉郎が英雄になり
天下を取る形になったと・・・。ウ~ムそれもあり得るかな???私にはどれが有力な説なのかわかりません。 
以前の説を覆すような資料が出てきているようで、結論は学者さんにお任せするしかありませんね。歴史は勝者の視点で描くもの
なので、本当のところは分からないというのが真実なんでしょうね。 
  ストーリーの展開もさることながら、「麒麟がくる」を見るとき、私が注視していることを書きます。
ある時、出演者の衣装に違和感を感じました。 時代劇の衣装としては派手すぎるだろう、この色の取り合わせは時代に合わない
だろうと思うことがありました。それ以降どうしても衣装に目が行くようになりました。前回の光秀が信長に丹波攻めを命じられる
場面での光秀の衣装、覚えていますか?シンメトリーの衣装に思わず、「かっこいい!ありえない!」 と口に出してしまいました。
はかまの右足と左足の色が違っていて、右足と上衣の左の色が同じで左足と上位の右の色が同じで対象になっていたのです。
信長のクリーム色の袴もなかなか良かったですよね。夫に「お前どこに注目して見てるんだ!信じられん!」と言われてしまい
ました。背景と衣装の組み合わせも色彩的に綺麗です。そんな画面の美しさも毎回楽しんでいます。また登場人物のアップが
多いので人物の心の状態を表情で読み取れます。見ている者に、言葉ではなく表情でどんな気持ちになっているのか伝えるは、
難しいです。それを見事にやってのけているのがすごいと思います。
信長が弟を毒殺したときの信長の表情、将軍義昭に見切りをつける時の光秀の表情、義昭が将軍になってから後だんだん力を
失っていく過程での表情の変化、などなど真に迫るものが数々ありました。 
 最近すっかり大河ドラマを見なくなっていた私ですが、「麒麟がくる」は久々に続けて見ています。
 さてさて、私の視点ー衣装、背景、表情ーを思い出しながら、次回の「麒麟がくる」を見るのはいかがでしょうか?



12月16日

  先日、スマホでこんなニュースを見つけました。
 
  世界中の子どもが今年のクリスマスにサンタは家に来てくれるのだろうか?と心配しているが・・・。という記者会見での
質問に、WHOの感染症専門家が世界の子どもたちに次のように呼びかけました。 
「サンタクロースは高齢だがコロナウィルスの免疫があり、プレゼントは届きます。サンタは空中を旅することができるので
プレゼントを配ることができるのです。子どもたちはサンタと適切な距離をとることが大変重要です。」と強調しました。 
 
  なんて素敵な夢のあるメッセージなんでしょう!暗くなりがちな世相に何か温かい柔らかな風がフワァーと吹き込んできた
うなそんな感覚を抱きました。 
  我が家の孫娘は、「家にはクリスマスツリーがないのでサンタさん来てくれるかな?」と言っていたとか、 いないとか?
息子の言葉を真に受けて、今年の誕生日のプレゼントにクリスマスツリーをプレゼントするという、何ともじじ・ばばバカ
をやってのけてしまいました(笑) 



12月13日

  ニュースで今日のコロナ感染者○○○名、医療現場の様子はこんなです、と報道を聞くにつけ、私の足は街中に出て行くこと
から自然と遠のいています。街では、クリスマスソングが流れている時期ですよね。
 ジングルベル?ホワイトクリスマス?山下達郎のクリスマスイブ?ワムのラストクリスマス?マライヤキャリーの恋人たちの
クリスマス? そんな曲聞きながら、ちょっと気分変えるのも必要かもしれませんね。そんなこんなで、年末に近づいている
感覚が今のところ全然 ないんです。 掃除もしなきゃ、お餅も作らなければ・・・田舎に帰るのはどうする?家族、親戚集ま 
れるの? もう、いや(怒)!!コロナめ(怒)!! そんな心境です。
  さてさて話は変わりますが、先日孫の保育園で生活発表会がありました。コロナのせいで見に行けるのは家族1名だけ。
もちろんママが行きました。息子も家でお留守番。私たちじじ、ばばも見に行けるはずもなかったのですが、時代は変わり
ました。 生活発表会ライブ配信ですって!すごいね。テレビの大きい画面に接続して、かぶりつけるぐらいの距離で孫の動き
を見つめて しまいました。便利になったと思う反面、やっぱり人と人の繋がりは、こんな手段だけで作り上げられるわけでは、
なく直接会って息づかいを感じながら表情や言葉のやり取りを通して築けるものだと思っています。人と人とが面と向かって
交流することを 大切にしたいですね。 今度会えるのはいつなのかな?お正月には会えるのかな?と思いつつ、やっぱり動画
見たり写真見て穴埋めしてます。 
  今日はブログ更新しながら久し振りに ラストクリスマス、マライヤの恋人たちのクリスマス、ウィズアウト・ユー 
を聞きました。いい気分です!! 



11月21日

  昨日は、日中は半袖で過ごしてもOKなくらいの陽気だったのに、今日は朝から肌寒く、使い捨てのカイロが活躍すると
いう、何ともかとも言えない天候でした。今日は、柏原市の玉手山に行ってきました。「玉手山いぶらの森」で、かしわら森
の会主催の森の音楽会に、ミントの活動として6人で出演しました。森の入口に入ると、傾斜の緩やかな狭い山道が始まり 
ます。ウ・・・ム、森の音楽会のイメージが膨らんできますね。山道にはどんぐりがたくさん転がっていて、視線を上げると 
赤や黄色、緑も混じって実に美しい秋の景色が目に入ってきます。暫く行くとコナラの黄色いじゅうたんが! 
ハリウッドのレッドカーペットではありません。玉手山のイエローカーペット。感激!!いい演奏をしようと気持ちが高まって
きます。かしわら森の会は、玉手山公園の荒れた雑木林を里山の森に再生しようと取り組みを進めている会です。 
親子の森林体験教室やクリスマスリース作り、今回の音楽会など いろいろな企画を実施しているようです。
「森へおいでよ!」 何か 素敵な響きを感じますよね。
3つのグループがパフォーマンスを披露しました。最初にステージを飾ったのはミント。2番手はコーラスグループ。
ラストは フォーク ソングを歌う2人組。決して私のモティベーションを刺激するようなグループではありませんでしたが、
同世代の人たちの音楽好きという気持ちが伝わってくるようなグループでした。楽しく時間を過ごす、それが大事なのです。 
そしてその楽しさが共有できれば嬉しいですね。フォークソングは、学生時代を思い出させる曲ばかりでした。
さらば青春、遠い世界、22才の別れ、 なごり雪、戦争を知らない子どもたち・・・。久し振りにマスクをしたまま歌いま
した。気分爽快!、大学生の頃は、クラブの部室に行くと、誰かがギーターを奏でながらフォークソングを歌ってました。
田舎の大学だったので、コンパは地域の公民館を借りて、みんなで買出しして、サラダ作ったり、果物切ったり、ビール
やジュース飲みながら大声でフォークソング歌ったものです。1年生の頃は学生運動で大学が休校になったり、授業の
ない間、クラス討論したり、学生集会あったり、 浅間山荘事件が起きたり、いろいろなことがありました。
そんな思い出がフォークソング歌いながら浮かび上がってきました。紅葉の森の中で、ちょっぴり昔に引き戻された一日
 でした。

     

       「 いぶらの森 」 って こんなところでした。



11月13日

  第2弾!!前回投稿していただいた方からの再度の発信です。
 
  今回は「指揮者は必要か?」について投稿させていただきます。一般的なことはインターネットに掲載されているので、
ここでは記載しません。「かわちマンドリーノ」で指揮をすることになった8月頃何気なくNHK「チコチャンに叱られる」
を見ていた時の事です。“なんで指揮者は手を振るの?” というクイズがありました。答えは“一瞬先の未来を演じて
いるから”でした。これは今でも強く印象に残っています。 その中で指揮者が必要な理由が取り上げられていました。
 1.楽譜を見てどんな曲なのか頭の中で思い描く。
 2.思い描いた事、つまり自分なりの曲についての解釈を演奏者に伝える。
   そしてそのために手を振る。手の動きには、特にこれといった決まりやルールはなく、その人が考えた通りで問題なし。
との事でした。
 昔は指揮者は存在せず、作曲家自身が演奏しながら指示していたそうです。指揮者が誕生したのは、18世紀から
19世紀始めの頃です。きっかけは、メンデルスゾーンが復活演奏会を開き、バッハの死後埋もれていた『マタイ受難曲』
を再生して世に広めたことから、との事でした。
曲は、指揮者の解釈によって、同じ曲なのに全く違う表情、テンポ、強弱に変わります。 
プロの指揮者がベートーベンの第5番『運命』を演奏した場合、指揮者によって演奏時間差が11分もあったとか、先振り
という技術にも触れる内容でした。指揮者の合図を目で見てから演奏する事で、ズレが生じても音は理想のタイミングで
演奏できるのだそうです。(2020年8/21放映内容から抜粋) 
 以上から極論を言えば、指揮者がどのように演奏指示を出そうともかまわないということですが、指揮者にはその責任
があるともいえますので、楽譜に記載されている指示を変えるには中々勇気が要ります。特に新参者の私にはそこまで 
できませんが、楽譜に書かれているテンポ、強弱、表情を極力強調して演奏していただきたいと思っています。
また、以前より持論として、指揮者は客席に背を向けていますが唯一動ける存在として、ただ単に音楽を聴いて頂くので 
はなく、喜び、悲しみ、哀愁等を表現するパフォーマンスとして音楽を捉えてもらうべきとの考えがあり、その事にも トライ
しながら指揮棒を振りたいと思います。(言うは易しですが・・・。)    
いずれにしても、まずは演奏者の気持ちを一つにまとめて表現することが第一と考えています。 
皆さん、よろしくお願いします。 
 
 今回も熱い思いを語っていただきました。



11月9日

  今日は嬉しいお知らせです。かわちマンドリーノの部員から久々に投稿をいただきました。
5人目の投稿者となります。これからも、自由に投稿していただき、お互いに気持ちの交流ができればと思います。 
   
  9月からマンドリンオリジナル曲、クラシック曲の指揮を担当する事になりました。10月11月の練習を経験して、少し
落ち着きましたので現在の心境を投稿させていただきます。
  学生時代のマンドリンクラブでは、2ndパートのトップをしていました。友人が指揮をしていましたので、演奏者からの
意見として練習方法、指揮法等について議論したことを思い出します。演奏会を聞きに行くときは、いつも上の階の前方
の席を陣取り、指揮の振り方を見ていました。今回はそのような経験から、演奏者の皆さんと一緒に取り組みたいと
考えています。指揮者から見る風景、音色、音量は、演奏者が演奏しながら感じるものとは全然違いますね。 
よく指揮者が 「こちらを見て!」 と言っていましたが、その気持ちが今ではよく分かります。指揮をしながら各パート
トップの方と目が合うと、正直ホットします。
11月8日(日)の練習時、「マンドリニストの群れ」と「カノン」の演奏方法がほぼ固まりましたので、次回は音源を入力
していただいて通した練習をしたいと思っています。「ミュージカル名曲集」と「ウィリアムテル序曲より行進曲」はもう
少し掘り下げて練習したいと思っています。皆さんよろしくお願いします。 
 
 みんなですばらしい演奏を目指したいという投稿者の思いが伝わってきますね。合奏は皆で作り上げるもの。指揮者だけが
頑張ってもだめ。演奏者だけが頑張ってもだめ。気持ちを通じ合わせて共に頑張りましょう!! 



11月5日

  秋も深まり、私のウォーキングコースの桜の木もだいぶきれいに色付きました。
食欲の秋、今日も栗ご飯に舌づつみをうちながら、体重増加の恐怖に震えております。
スポーツの秋、私には縁のない遠い世界。ゆっくり、まったり歩いただけで、たっぷり運動した気分になっております。 
芸術の秋、知り合いのコンサートに刺激され、昨日はマンドリン、今日はギター、音楽にどっぷりと浸かっております。
マイ・ウエイ、未来へ、千の風になって・・・ウーン良い曲だなあなんて思いながら、うっとり気分。今日は今日で昼食食べて、
ギターをポロン、おやつ食べてまたポロン、夕食準備をする前に、またポロン。 多分明日からギターはケースの中で冬眠 
開始かも。コロナはまだまだ衰える気配はなく、逆に勢いが復活してきたようにも思われますが、気分は以前よりも晴れ
やかです。とりあえず、趣味の活動ができているからでしょう。 
  10月31日、2回の延期を乗り越えて、私がギターのレッスンを受けている先生の門下生による発表会が無事行われました。
私は、ソロ1曲、マンドリンアンサンブルのギターパートで3曲演奏しました。私にとってギターデビューの発表会でした。
今の先生にお世話になって3年ですが、何やかやと言い訳して過去2回は出場をしなかったので、人前でギターを弾くの
はまったく初めてでした。特にソロの時の緊張感は半端なかったです。 1曲をこんなにも練習したことはない、というくらい 
練習しましたが、本番は悲しいかな、いまいち。コンサートを開いて一人で何曲も人前で演奏しちゃう人のすごさを改めて感
じました。良い演奏をしたいと気負いすぎるのが良くないのでしょうね。気負いすぎてかえって緊張が増して失敗するという 
パターンです。うまくできなくっても何のその、ケセラセラ !!って思える日が来るのはいつのことやら。そうなったらもっと
楽しんで演奏できるのだと思います。
発表会、最年長参加者は83歳の男性でした。昨年はアルハンブラ、今年はハーモニカをつけてギターをもってステージに
出てきました。旋律はハーモニカで伴奏をギターで弾きました。昨年も 驚かされましたが、今年も刺激と元気をいただきました。 
私に成長の伸びしろはまだあるのでしょうか? あることを期待しながら日々を過ごすことにします。



10月25日

  何やら世間は、アメリカ大統領選挙、日本と関係の深い国であることは確かですが他国の事であるにもかかわらず、トラン
プが勝つ? バイデンが勝つ?と予想に騒がしいです。コロナの報道がちょっと静かになっていると思いきや、テレビの
コメンテイターは相変わらずああだ、こうだと様々な事柄で意見を飛ばしています。学術会議、日韓関係、対中問題、北朝鮮
の危うさなどなど知れば知るほど興味深いし、怖いし、不安だし、でもまた知りたくなるし、私の好奇心を揺さぶります。
  そんな中エンタテイメント部門にも何やらどうどうと高波が押し寄せています。遅ればせながら、私もその高波に乗ろうと
試みました。 「鬼滅の刃」 コロナ騒ぎが始まる頃にこの言葉を耳にしてはいましたが、人気があるんだ!と知りながらも
内容を知ろうとする気持ちには至り ませんでした。内心、たかが漫画、子どもが楽しむ内容なんだろうと軽く見ていた面が
あったかもしれません。反省!最近、思いがけなくテレビの番組表を見ていたところ、「鬼滅の刃」アニメ版2週連続放送と
いう文字が 目に入りました。録画してちょっと見てみようかなと、不思議にその時は思えました。 
合計268分、約4時間半、一気に見ました。 アニメはいくつか見たことがありますが、この「鬼滅の刃」はストーリが分かり
やすく、展開のテンポが速く、人物像もとらえやすく、今ある社会問題 (家族の絆に関わること、困難な 事に直面した際、
どうあるべきかなどなど) へのメッセージがあり、とにかく時間を忘れて見入ってしまいました。
画面から流れる音楽も良く、聞こえてくる言葉に心を打たれ、涙が込み上げる場面も結構ありました。
いや、これは子どもだけの世界ではない、大人にも充分通じるものだと感じました。
年齢関係なく、ある意味社会現象にもなっているということに、私としては納得しました。劇場版も少し波が納まってから、 
見たいなと思っています。人込みの中で見るより、静かにいろいろ思いを巡らせながら見たいというのが本音です。 



10月21日

  私は毎月3回、英語を楽しむ会に参加しています。メンバーは現在10人程度ですが、60代70代80代、皆英語が大好
きで老いと闘いながら英語を学んでいます。メンバーのリーダー的存在の方は、長い間海外勤務をしていた方で、どんな話題も
流暢な英語で話され、憧れの的です。
私は、 英語の学習とメンバーが集まったときの話題探しのため、よくNHKのオンライン英語ニュースをチェックします。
先日、Tokyo's showcase toilets というタイトルの記事を見つけました。今年8月に渋谷区の2つの公園にシースルー 公衆
トイレが設置されたというものでした。これはおもしろい!次の集まりのときの話題にできると思い読み始めました。 
写真も載っていました。カラフルで綺麗なんです。トイレと言うか、ショーケースって感じですね。でも中が透けて見える
トイレなんですよ!皆さんご存知でしたか?一瞬、だれがそんなトイレ使うか?!と思ってしまいました。
公園の公衆トイレといえば、汚くて、薄暗くて、不審者が中に潜んでいるかもしれない危険なトイレというイメージが強く、
できれば使いたくないトイレではないでしょうか。 
シースルートイレは、電流が流れることで中が見えるようになっていて、人が中に入りドアの鍵をかけることで電流が切断さ
れ中が見えなくなるようです。もちろん停電のときも電流が流れなくなるので中は見えません。中に誰もいないことがチェッ
クでき防犯になります。こんなのが増えたら、公衆トイレのイメージも変わりますね。来年オリンピックが無事に開催されれ
ば、外国人観光客のホットスポットになるかも知れませんね。こんなことを考え出す日本人すごいなと思います。
ウォシュレットトイレもそうですが、日本人の新しいものを作り出す力って本当にびっくり です。
シースルートイレで検索するとユーチューブでも見れますよ。 



10月2日

       今朝、朝食を食べながら夫が 「ついため息が漏れるな。秋は気持ちが不安定になるのだろう。
俺らの人生ももう秋なんだろうな。まだ晩秋にはなってないよな?何歳になったら冬になるのか
な?」と、やっぱり私と同じような思いになってるんだなと感じた瞬間でした。
そんな会話の中で、昨日が中秋の名月だったことを夫から気づかされました。皆さんは肉眼でご覧 
になりましたか。前回のブログで「日日是好日」、季節を五感を使って思いっきり楽しむなんて事も
書きましたが、やっぱり私にはなかなか身につかない習慣だなと感じました。
夫がカメラに収めた写真をご覧ください。実際に見る満月に比べると見劣りしますが、本当に綺麗な満月です。
昔の人は、現在のように楽しみが多様化されていないので、こんな自然の何気ない現象に敏感だったのでしょうね。 
夫は私よりずっと感性が豊かなのかもしれません。悔しいけれど私の欠点を思い知らされました。 



9月27日

  9月もあと数日を残すだけとなりました。最近はすっかり涼しくなり随分過ごしやすくなりました。9月は私の誕生月
で、悲しいかな、1つ歳を重ねてしまいました。最近は時々、後何年ぐらい楽器を奏でられるのだろうとセンチメンタルな 
気分になることがあります。秋のせいでしょうか・・・。集中力が衰え、ちょっと長く練習をすると手首や腰が痛み落ち込み
ます。これではいけないと思いつつ日々が過ぎていきます。 
  先日、いつものようにテレビのスイッチを入れると、2018年に放映された「日日是好日」という映画が画面に映し出
されました。出演者は、黒木華、樹木希林でした。 樹木希林の映画はとても興味がありました。ラッキーと思いながら見始
めました。「茶道」を通じて20代の女性がつらさ、迷いを乗り越えて、さまざまなことに気づかされ、心が満たされていく
内容でした。何か、ゆったりとした、まったりとした、心が安らぐような、そんな時間が私の中で流れました。 
  「日日是好日」この言葉は中国唐時代の禅師の言葉です。毎日いい日が続いていいなんていう浅い意味ではないのだ
そうです。その日一日をありのままに生きるということ、嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、現実を
受け入れて、ただありのままに生きれば、すべてが好日だというのです。‘好’というのは、この一瞬を精一杯、積極的に
生きようとする決意を示しているのだそうです。その一瞬一瞬の積み重ねが一日となって、今までにないすばらしい日に
なるという意味なのです。雨の日は雨を、雪の日は雪を、夏には夏の暑さを、冬には身の切れるような寒さを五感を使っ
て思い切り楽しむことだというのです。いやだとか、つらいとか嘆くのではなく、現実を受け入れてその現実の中で精一杯
何かを探して楽しもうという、なんとも私にとっては難しいものでした。
そんな風にはなかなか意識は変えられないかも 知れませんが、何気なく過ごしている日々の中に、意識すると確かに、
見過ごしていた、いろいろな気づきあるようにも思います。どんな今でも、今この時を大切に、楽しめるような心の持ち方  
ができたらなと思いました。 
センチメンタルな私を癒してくれる映画でした。あの日あの時間にテレビのスイッチ入れなかったら見ることはなかった
 だろうと思うと、何か出会いのすばらしさを感じます。希林さん、やっぱり味があるなー!もう新しい映画見れないんだな
と残念です。



9月9日

  今日は変なおじさん(笑?)に会いましたので、ちょっと書き留めておきます。
コロナ禍の中でもずっと続けていたウォーキングですが、8月の猛暑やもろもろの事情ですっかりおろそかになっていました。
しかし、このままではいけないと思い9月になって気合の入れなおしをしています。 
以前から、我が家の近くにある由義神社をウォーキングコースに入れています。2017年の発掘調査で、八尾に奈良時代の 
幻の都、西京、由義宮があったとされていますが、その由義宮の跡地に建てられたとされている神社の一つのようです。 
ウォーキングの途中でその神社に寄って初詣の感覚で、家族の安全と健康を願ってお参りをしています。
今日、その神社で見知らぬ、恐らく50歳代(?)の男性に声をかけられました。 男性は私より先に神社に来ており、しばらく
本殿の前に立ち、上の方を見上げていました。 私は順番を待ち、彼が本殿前から退いた後、お参りをしました。
後ろからじっと見られている感覚があったので、「いやなだな。」と 思いながら手を合わせました。帰ろうとしたその瞬間、
いきなり、「しめ縄のところに紙垂(しで)があるでしょ。紙垂ってわかります?あのひらひらした紙のことですよ。私はよく 
神社を訪ねているんですが、必ず紙垂を見ることにしているんです。」と話し始めました。
紙垂が動くのは風のせいではなく、神様の心の表れだとその男性は言いました。歓迎しているんです。霊感の強い人には特に
強く表れるそうです。「ほら、見てください。一番右の紙垂だけ今動いているでしょ。」見上げると確かに1つだけ動いてい
ます。しばらく話していると「ほら、今度は一番左だけ動いています。」 うぁー本当だ!!
その後も、自分には霊感があると思われる体験を何度もしたという話をしてくれました。
宗教の勧誘かなと思い、ちょっと苦手やなと感じながらも話を切ることができませんでした。
彼曰く、「神社にある鏡は、私たちの心を写し出しているのです。言葉に出さなくても、考えていることが心に刻まれているの 
です。うっかり言ってしまったと言う人がいますが、言ったことはしっかり心に刻まれたことなんです。だからいつも心の持ち
方を大切にしなければならないのです。病も気からと言います。気は心です。心の持ち方で病気も変わります。」ですって。 
何とか、話をうち切って、ウォーキングを再開することができましたが、両足蚊に刺されまくりました。トホホー。 
道々、今度神社に行くときは、紙垂に注意してみよう、神様は私を歓迎してくれているのか否か、確かめるのも面白いかも・・・?!




8月30日

  8月28日安倍総理が辞任を発表しました。いろいろ問題やら疑惑もありましたが国民にとって100点満点の
政治家なんてありえません。国を動かすという重責を果たすことの大変さは一介の国民には到底想像できないこと
です。7年8ヶ月本当に総理のお勤め、お疲れ様でした。短期間でころころと一国の総理が変わり世界の信用を 
失った時期もありましたが、最近では世界において日本の存在感を随分示せるようになってきたのではないかと
思います。しかし、悲しいかな、長期政権になればなるほど権力にあぐらをかいて国民に対する謙虚さが失われた
り、国民のために奔走する熱意が薄れたりするものです。政治家や官僚が、自分を守ったり、自分が利することに
だけ力を注ぐようになったりします。まんねりがすすんだりもします。
そういった意味でも安倍政権がこれ以上長く続くことには反対でした。任期半ばの中途半端な幕引きですが、病気
となればいた仕方ないことです。本人元気そうに見えても病気の進行はどうすることもできません。
病は知らないうちに進んでいくものです。私も最近実感しました。息子宅で3人目の孫誕生のサポートをするため
長い間家を空けていました。無理をしている感覚はあまりありませんでしたが、身体は正直です。
帰阪2日前にストレスからか口内炎になりました。ピリピリと痛みましたが、家に戻って毎日しっかり寝て、外出
もせずゆったりと過ごしていたらいつの間にか治りました。総理のストレスは私のストレスの比ではありません。
安倍さん、お身体をお大事に! 
解決せずに残った課題がたくさんありますが、それらを引き継ぐ新しい総理はだれなのでしょうかね。
ここ数日、ニュースから目が離せません!!




8月26日

 ご無沙汰しておりました。皆様お変わりなくお過ごしでしょか?前回のブログ更新から早いもので1ヶ月が経ってしまいまし
た。この間、我が家に新しい命が授かり、嬉しい忙しさの中で日々を過ごしていました。新生児はのんびり屋さんなのか、産ま 
れ月にも関わらず頭が下りてこず、母親に切腹(?)を言い渡した次第です。産まれてからはよく寝て母親に罪滅ぼしをして 
いるかのようです。 
 さて、今回は役割について少し書きたいと思います。
 私たちは必ず何かしらの集団に所属し、その中でいろいろな役割を受け持ち、それを果たすための努力を積み重ねるものです。
時にはその役割を放棄してトラブルを引起すケースもあるにはありますが・・・。家族においては、夫婦の役割、親としての
役割、子としての役割、姉妹兄弟としての役割・・・。職場においても、地域においても、社会においても、様々な形で役割が割
り振られます。表面的に目立たない役割、皆から注目を浴びる役割、いろいろありますが、役割に価値の差などありません。
その一つ一つがすべて、集団を成り立たせるための大切な役割なのです。
 私は今3つの団体で音楽を楽しんでいます。2つの団体でマンドリンパートを、1つの団体でギターパートを受け持ってい
ます。マンドリンの低・中音が好きで長い間2ndマンドリンを弾いていましたが、今は1stマンドリンです。2ndマンドリン
パートは一人で弾いている時は旋律部分が少なく少しやりにくいこともありましたが、合奏となると自分の音と他のパートの音
との重なりを楽しむこと ができ、自分の音がこんな風に響くんだとわくわくしたものです。これが合奏の醍醐味です。
すべてのパートが大切な音であり、一つでも欠ければすばらしい合奏にはなりません。
だから合奏では自分のパートを弾くのに必死になるのではなく、他のパートを しっかり聞きながら調和した音を楽しむのが
大切なのかなと思います。そんなゆとりを持ちながらの演奏ができたら最高ですね。
 パートが何であれ、すばらしい音楽を作るために一人ひとりが役割を果たしているんだと自覚することも大切だと思います。
  三人の孫たちにも、華やかな表舞台で目立つ役割が価値があり、地味で目立たない役割が価値がないと思う、間違った
感覚を身につけないようにしてもらいたいと願うばかりです。 



7月26日

  今、ボランティアグループで「民謡 木曽節に基づく小狂想曲」を練習しています。元気の出る曲で、弾いていると気分も
高揚します。私の郷里は群馬県なので、昔なじみの民謡といえば八木節です。群馬県の東部にある桐生市の八木節祭りは 
有名でした。桐生市は昔から生糸・絹織物で有名だった市です。私が群馬にいた頃、桐生市内を歩くと、古い家から布を織る 
織機の音が聞こえてきたものです。蚕の繭から生糸を紡ぐ工場、蚕のえさとなる一面の桑畑、懐かしい光景が思い出されます。
祭りの数日間は、夕方から市の大通りは車の通行が規制され、屋台が出て、近隣の市からも多くの人が集まってきます。
     ♪♪ ハアー またも出ました三角野郎が 四角四面のやぐらの上で 音頭とるとはお恐れながら 
          国のなまりや言葉の違い お許しなされば オオイサネー  ♪♪
八木節の始めの一節を聞きながら、びっしりと大通りを埋め尽くした人々が、元気よく踊りだし汗びっしょりになりながら無心に
踊り続けます。活気あるお祭りでした。今はどうなっているのでしょうか?
民謡は、地域の人々の思いや慣習、なまり、独特の旋律に触れることができて、心の底からいろいろな感情が湧き上がりますね。
  私には、大阪に来てから、八木節にまつわる思い出が2つあります。
1つ目は、長男の保育園は音楽指導を熱心にする保育園で、年長さんの生活発表で八木節を演奏しました。息子は樽太鼓を
担当させていただきました。太鼓の音が身体の芯に響いて感動しました。 
2つ目は友人の所属しているマンドリンアンサンブルがイタリアのローマに演奏旅行をすることになり、グループ以外の人の参加
も認めるということで私を誘ってくれました。ローマの国立サンタチェチーリア音楽院とローマから車で2時間程のスルモーナと
いう小さな町で演奏できることになりました。そのコンサートでの演奏曲に武藤理恵さん編曲の八木節がありました。 
演奏する曲名を知ったときの私の喜びといったら、言葉には表せないほどでした。マンドリン発祥の地イタリアで、我が郷里の
民謡を、大好きなマンドリンで弾くことができる、本当に幸せな気分でした。練習にも力が入りました。もう二度と経験できない
貴重な経験でした。友人からイタリア行きの話を聞いたとき、、縁ってあるんだなと感じた瞬間でした。
  「民謡 木曽節に基づく・・・・・」を練習しながら、そんなことを思い出しました。



7月19日

  皆さん、知っているでしょうか?「 トイレの神様 」という歌を。10年ほど前にラジオでオンエアされて瞬く間に名曲と
騒がれた曲です。私は、夫の実家に車で移動する時にラジオで、この曲を初めて聴きました。
植村花菜というシンガーソングライターが歌っていました。もう歌っていた人の名前も忘れていました。なので改めて調べ
ました。前回のブログで掃除について書いている時、ふと「トイレの神様」を思い出した次第です。
初めて聴いた時は衝撃でした。胸にジーンときて涙が込み上げましたね。 
  私は22年間、大学を卒業するまで、実家で祖父母と同居していました。父と母が店を経営していて毎日忙しく、私はおばあ
ちゃん子でした。母とおしゃべりするより、祖母とおしゃべりしたり、愚痴を聞いてもらうことが多かったように思います。
戦争中のことや父の小さい時のこと、父の弟妹のこと、いざという時の備えの大切さ、食べ物を粗末にしない、女は財布の紐
をしっかり締めよとか、いろいろなことを教えてくれました。「トイレの神様」は、そんな祖母を思い出す歌でした。
そして一番心に響いたのが、私の祖母もこの歌に出てくるおばあちゃんのように「トイレには神様がいるんだよ。・・・」と
同じことを言っていたことでした。久し振りに聴いて泣けました。長い歌詞に、おばあちゃんとの思い出が綴られています。
おばあちゃんと孫娘の温かい関係を感じさせる、そんな歌です。
聴いたことない方、是非 YOU TUBE で探して聴いてみてください。私も孫たちの心にどんな風に残っていくのでしょうね。
   ところで、日本はなんとたくさんの神様のいる国なんでしょう。日本で昔から言う神とは神道の神のことだと思います。
神道では自然のものすべてに神が宿っているという考え方から、神は八百万の神と言われています。自然に存在するもの
すべてを崇拝する気持ち、畏敬の念の表れなんでしょうね。夫の田舎で、山の神、火の神をまつる村の行事に参加したこと
がありました。へーそんなことするんだと驚きの気持ちもありましたが、昔の人たちの自然に対する畏敬の念を感じたものです。
ひとりの人物を崇拝するキリスト教や仏教などの宗教とはちょっと違いますよね。日本人の多くの人にとって、キリスト教や仏教
の神様も八百万の神のひとつなのでしょうかね。結婚式はキリスト教の教会で、お葬式はお坊さんに念仏を唱えてもらう、12月
にはクリスマスを祝い、大晦日には除夜の鐘を聞き、正月には神社に初詣。1つの宗教を熱心に信じている外国の人にとって、
日本人はどう写るのでしょうね。宗教心の薄い私ですが、ご先祖様は大切に思い、いつも見守っていてねとお願いしています。



7月14日

  外国人が日本に来て街の環境がきれいなことに驚くというようなことをよく耳にします。私自身も外国を旅行して、同じこと
を実感します。コロナ対策で世界の国々が頭を悩ませている中、日本人の衛生に関する意識が話題になることがありました。
花粉症とか風邪とか理由はいろいろあるでしょうが、マスクをつけることに抵抗感がない、外出後の手洗いうがい、お風呂に
よく入ること、靴を脱いで家に入ることなどなど、日本の昔から続いている習慣、文化についてコロナのおかげと言ってはなん
ですが、考えるきっかけをいただきました。今回は掃除について書いてみようと思います。 
  私が現役で働いていた頃、外国人の同僚に、「日本の学校は生徒が教室やトイレを掃除するんですね。私の国では掃除を
してくれる人がいて生徒はしません。」と驚きをもって言われることがありました。
学校教育の中で幼い頃から、自分たちの環境をきれいに保つことの大切さを身をもって学んできたことが、日本の街がきれいに
保たれているベースにあるように思われます。
 小さい頃から自分たちで使った所は自分たちできれいにするとか、ゴミ箱のない所ではゴミを持ち帰るとか(ゴミ箱のない所
では一旦ポケットやバッグにゴミをしのばせ、ゴミ箱のある所で捨てる、これは外国人にとって奇妙なことのようです。) 
使った後は使う前よりきれいにとか、よく言われたり子どもたちにも言ってきたことです。 
以前、サッカーの世界大会の時、日本人のサポーターが試合終了後会場のゴミ拾いをしている光景をメディアが取り上げ、絶賛 
したことがありましたよね。これは、日本人だったら普通に理解できることですよね。
 学校で子どもたちが掃除することは、外国では、強制的に掃除させて児童虐待だと非難されることもあるようですが、私は、
すばらしい日本の文化だと思います。学校での清掃活動は多くのことを子供たちに学ばせることができます。
   1.自分たちが使った場所を自分たちできれいに保つことの大切さ   
   2.掃除が楽になるように汚さない生活を心がける習慣       3.協力して作業する大切さ
   4.役割分担することで、自分の分担をきちんとやりきる責任感   5.きれいな環境の中での生活の心地よさ
   6.みんなで使うもの(掃除用具)を大切に使う習慣
  これらのことが日本人の心の底で無意識に養われているのだろうと思います。もちろんすべてのことに例外はあり、そういう
感覚が育っていない人もいますし、人による程度の差もありますが・・・。
  最近は道路に使い捨てのマスクが捨てられていて、がっかりすることもあります。世界も評価してくれている日本人の良さを
失いたくないなあと感じます。 



6月23日

  コロナ給付金が我が家にも届きました。3ヶ月しっかりとステイホームをやりきったご褒美と思い、喜んで頂きました。
コロナのせいで経済もかなりダメージを受けているので、消費して少しでも貢献しようと思っていました。 
何にお金使おうか?おいしいものでも食べに行こうか?どうしよう・・・と。 
  実は我が家の駐車場は軽自動車用でとても狭く、普通車は入庫がとても困難なので、いつも家の前の道路に止めていま
した。そこは家を立てるために作った、行き止まりの道路です。その道路にそって建っている家は2軒、奥の家が我が家なので
家の前に車を止めても交通には全然 影響なしです。でも、駐車場に入れていない車について「そこに止めたらあかんやろ。」
と注意す人がいるんですよね。緊急事態宣言の解除後、6月に入ってすぐに駐車場拡張工事をお願いしました。
ブロック塀を一部取り除いて、大きな植木を2本切って、他の植木の剪定もしていただいて駐車場スペースの整備をしました。 
そんなこんなで、給付金はあっという間に吹き飛びました。職人さんもコロナでたぶん仕事が入ってなかったのでしょう。
「お支払いは銀行振り込みですか?」 と聞くと即 「現金で」 と返ってきました。そうですよね。この時期やっぱり現金です
よね。というわけで、おいしいものを、との思いも水の泡となりました。 
  皆さんは、給付金何に使う予定でしょうか?
 さて、他府県への移動自粛も解除され、観光地も少しずつ賑わいを取り戻してきているようです。少し前までは、京都や奈良、
その他の観光地に行っても、中国人ばっかりとか、外国人がほとんどとか、マナーの悪い外国人が多いとか よくないことを聞く
ことが多かったです。古都の静かな雰囲気、日本独特の情緒が台無しと日本人の観光客が減っている傾向もあったようです。 
外国からの観光客が日本の経済には必要なのかもしれませんが、日本人はもっと日本の観光地をサポートする動きを活発に
しなければいけないと思います。今年の冬はオーロラを見に海外へと思っていましたが、海外より国内旅行をもっと見直そうと 
思います。しばらくは、国内の観光産業にお金を落とすことにします。 
意外と国内旅行をしていない私としては、青森行って見たいです。 



6月3日

  町会の班長が回ってきました。今の家に移ってから36年、3回目の班長です。町会費を集めるのが初仕事。高齢化が進み、
70代80代の多いシニア班です。その中に、親や祖母にスペイン風邪のことを聞いたことがあるという80代の女性がいます。
1918~1919年頃に世界を襲った感染症ースペイン風邪。新型コロナからちょうど100年前のことです。
しかし、身近な80代の女性からこの言葉を聞くと、不思議と遠い昔のことのように思えませんでした。
当時は今と比べると医療はずっとずっと脆弱だっただろうから、人々にとってこのパンデミックは想像を越える恐怖だった
でしょう。そして、さらに歴史をたどって見ると、何度も大規模な流行があったペスト。
14世紀のヨーロッパ流行では人口の3分の1以上がこのペストによって失われたと言われています。
先日、私はカミューの「ペスト」をやっと読み終えました。1947年に出版された小説で、新型コロナの感染が広がる中、読者
が増えているらしいです。私も飛びつきました。本の名前は若いときから知っていますが、読書というよりテレビ人間の私は、
ついつい今に至っていました。読み始めたものの、翻訳本なので、哲学的、宗教的思想を表現している部分などは文章自体が、
長く、理解に苦しむ部分が結構あって、単純思考の私としては、睡魔と闘わなければならないことも少なからずありました。  
しかし、今私たちが直面している新型コロナに相通ずるものもあり、最後まで読みきることができました。
ペストによって街がどう変わっていったのか。人の死の捕らえ方がどう変わっていったのか? また、ペストに遭遇して著しく変
貌した人たち、あまり自分を変えなかった人たち、様々な人間模様が描写されていました。
究極の状況下では、その人が本来持っている潜在的な性が湧き出るものですね。共同社会へ連帯し、人々を守ることに命を
捧げようとする医者も出てきます。中国武漢で新型コロナ流行の可能性についていち早く警鐘を鳴らした医者、李文亮さんが
警察に処分され、結局自身も感染者となって亡くなったことを思い出しました。その後その処分は不当だったと発表されました
が、結果武漢での新型コロナへの対応が遅れ、それがパンデミックの原因となったように思います。彼の勇気が生かされなか
った事が、本当に残念です。現在も世界で多くの医師や看護師が命を守るために力を尽くしてくれています。感謝です。
 さて、日本でも世界の他の都市同様、緊急事態宣言が解除され、少しずつ街が活気づき始めています。 
ところが、北九州では、東京では、第2波が・・・と不安な声も上がっています。
私たちの不安は、消え去ることはないのでしょうか? カミューは「ペスト」の最後、こう締めくくっています。
  「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類の中に眠りつつ生存することが
   でき、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古の中に、辛抱強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と
   教訓をもたらすために、ペストが再びそのネズミどもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が
   くるであろう。」



5月28日

  コロナの緊急事態宣言が解除されて1週間が経ちました。休止中の私の活動もようやく再開されることとなりました。
再開の一番手は、ボランティア活動を行っている布施マンドリン。練習場所に次々とメンバーが現われ、「お久し振り!やっと
再開ですね!」と弾んだ声が飛び交いました。2時間半があっという間に過ぎて、皆で合奏する楽しさを改めて感じる一時で
した。朝は練習場所まで夫が車で送ってくれました。帰りはいよいよ3ヶ月ぶりの電車です。 少々ドキドキ感があり、電車混ん
でいたらいやだなと思いながらプラットフォームへ向かいました。いつもの場所に立つと、特急電車がフォームに到着しまもなく 
出発。私は頭の中で無意識に「電車空いていますように!」と繰り返し唱えていたのでしょう。はっと我に返ったとき、電車が
すーっと駅構内に入ってきました。電車は意外と空いていました。乗客がかなりの間隔をあけてすわっている様子を確認して
安堵すると同時に、私の足は電車に向かってためらいもなく一歩を踏み出していました。座席に座るとまもなくドアは閉まりま
した。 しばらくは安堵からか、誰も座っていない前の座席にボーっと視線を向けていました。そして電車はスピードを上げてい
きました。何気なく車窓から外に目を向けると・・山本駅・・?!「あっ急行だ!!」と気づくも後の祭り。「あっちゃー!」
後戻りはできません。「お前は chicken heart か!コロナにびくびくするな!」天の声が私を責めました。
仕方なく国分で電車を降りて U - ターン。さらに、堅下で電車が長めに停車。「乗客の救護のためご迷惑をおかけしていま
す。」と車内アナウンスが流れました。嬉しいはずの一日が・・・。何か不安な・・・。
私の日々はこんなことの繰り返し。トホホ・・・・・・。 


5月10日

  今日は母の日。我が家では昨日、息子夫婦と孫がたくさんケーキをもってやって来ました。「コロナの影響で今年は、いつにな
くお母さんにご迷惑をかけています。ありがとうございます。」という言葉を添えて・・・。
ママに促されて孫も「ありがとうございます。」  と可愛い笑顔を添えて・・・。
単純な私は、そんな気持ちを体いっぱい受けて、また頑張っちゃうんですよね。へへへ(笑) 
  さて、緊急事態宣言が一ヶ月延長となってしまいました。予想していたことではありますが、まだ続くのかという落胆も正直禁
じえませんでした。5/4の安倍首相の記者会見では、どうなったら宣言が解除されるのかの具体的な方針がまったく示されませ
んでした。それに反して、大阪の吉村知事は、「大阪モデル」と称した休業要請の解除に向けての出口戦略を具体的な数値を出
して府民に分かりやすく提示してくれました。そのお陰で、目標に向かって頑張れば先が見えるようになるんだという希望が少し
持てるようになりました。 「 とにかくがんばれ!」で私たちはがんばりきることができるのでしょうか?
こうなったら、その結果、こういう効果がもたらされるんだという目安があれば、人は頑張れるんだと思います。 
知事が、出口戦略として数値を分かり易く提示するためにはデータが必要です。大阪では早い段階から、PCR陽性率、感染経路
不明者数・・・などなどのデータを知事が Twitter に上げていました。その費やした時間たるや「 吉村、寝ろ! 」 と言われる
程です。彼の考えを人々に理解してもらえるよう、いろいろな形で発信する努力も重ねています。一生懸命さが伝わってきて、
協力しなければという日本人特有の仁義の心を揺さぶります。先日の西村大臣とのやりとりでも、言うことは言って、引くときは
さっと引く、知事の潔さが光っていました。西村大臣については、上から目線で言葉尻を捕らえてチクリチクリと針を刺すような
物言いに、おそらく感情豊かな大阪人の多くは、カチンときたのではないかと・・・私もご多分に漏れずです。 
 また、大阪府は学生支援として、アルバイトを失って、家族の収入が減って、大学を退学せざるをえない学生を救済するために、
非常勤職員として採用し代価を支払うという方針も打ち出しています。 とにかく大阪府民を守るために対策を次々と示してる感
があり嬉しいです。
私は毎日、BS 放送で報道1930、プライムニュースを見ていますが、コロナに対して国はどうなっているのかと腹立たしく思
うことが度々です。国としての方針をしっかりと、しかもわかりやすく、すばやく、国民に示して欲しいと願うばかりです。
安倍マスクはもう要りません!!遅いです!! 市中ではマスクは不足しているかもしれませんが、国民は賢いです。
すでに自ら工夫を凝らして手製のマスクを作り、身につけています。国民にマスク配るお金をもっと必要なところに使ってくだ
さい。それから、国は、学校一斉休校を実施しながら、コロナによる教育への影響をどのように解決していくのか、対策を示せて
いますか? オンライン授業への取り組みは進んでいるのですか? 学校再開後の子どもたちの様々な変化が不安です。
教育の格差、学力の低下、不登校児の増加、生活の乱れや非行の増加・・・などなど。
また、PCR の検査数がなかなか増えないと批判されている中、今日始めて知りましたが、フランスは全自動のPCR検査機器で 
大量の検査が可能となっているようです。驚くことはその機器が日本製だとか・・・。日本ではなぜ使わないの???
日本は経済大国の一つだと、ふんぞり返っていたら、とんでもないしっぺ返しがきます。日本がどれだけいろいろな面で整って
いない、と言うか、遅れているかを知らされてショックです。頭の固い頑固親父そのものです。変わっていくことに臆病になり過
ぎないようにしたいですね。 



4月22日

  コロナ対策についてドイツ国民に向けて発信したメルケル首相のスピーチが、今話題になっています。
日本人は、スピーチの苦手な国民です。安倍首相のスピーチがこんなにも世界で話題になったことがあったでしょうか?
メルケル首相のスピーチは、日本国民の私の心をも震わせました。  
長いスピーチなので、私の心に響いた部分だけ抜き出してみました。
 
   ・コロナウィルスは現在、我が国の生活を劇的に変化させています。私たちが考える日常や公的生活、社会的な
   付き合いーこうしたものすべてが、かつてないほど試されています。
    事態は深刻です。あなたも深刻に考えてください。東西ドイツ統一以来、いいえ第二次世界大戦以来、これほど
   市民による一致団結した行動が重要になるような事態がわが国に降りかかってきたことはありませんでした。
  ・世界中で懸命に研究が進められてはいますが、コロナウィルスに対する治療薬もワクチンもまだありません。
   この状況が続く限り、唯一できることは、ウィルスの拡散スピードを緩和し、数ヶ月にわたって引き延ばすことで
   時間を稼ぐことです。研究者が薬とワクチンを開発するための時間です。発症者ができる限りべストな条件で
   治療を受けられるようにするための時間でもあります。
  ・人から人への感染リスクを可能な限り抑える必要があります。今でもすでに制限が劇的であることは承知して
   います。移動制限は、民主主義社会において決して軽々しく、一時的であっても決められるべきではありません。
   しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです
  ・まず第一の協力は、今日何が重要なのかについて真剣に考えることです。パニックに陥らず、自分にはあまり
   関係がないなどと一瞬たりとも考えないことです。不要な人など誰もいません。私たち全員の力が必要なのです。
  ・私たちがどれだけ脆弱であるか、どれだけ他の人の思いやりある行動に依存しているかをエピデミックは私たちに
   教えます。ひとりひとりの行動が大切なのです。
  ・不必要な接触を避ける事で、病院で日々増え続ける感染者の世話をしているすべての方々を助けることになり 
   ます。こうして命を救うのです。
  ・私たちは民主主義社会です。強制ではなく、知識の共有と協力によって生きています。これは歴史的な課題で
    あり、力を合わせることでしか乗り越えられません。犠牲者が何人出るのか、どれだけ多くの愛する人たちを
    亡くすことになるのか、それは大部分私たち自身にかかっています。私たちは今、一致団結して対処できます。
    現在の制限を受け止め、お互いに協力しあうことができます。
    この状況は深刻であり、まだ見通しがたっていません。一人一人がどれだけきちんと規則を守って実行に移す
    かということにも事態が左右されるということです。たとえ今までに一度も経験したことがなくても、私たちは、
    思いやりを持って理性的に行動し、それによって命を救うことを示さなければなりません。それは一人一人
    例外なく私たち全員にかかっているのです。
 
   彼女のスピーチをサイトで見て心動かされた後、テレビに映し出される、江ノ島の海でサーフィンを楽しんでいる、
とんでもない数の人や渋滞の車の列を見て、また、他県で開店しているパチンコ店へと移動する人たちのことを知
って、ただただ悲しい気持ちが湧き上がってきます。必死で頑張っている医療従事者のことを、コロナに感染してし
まって闘っている人たちのことを、地元のまじめに自粛している人たちの不安を もう一度思い起こして欲しいです。
  日本の医療体制は平時であれば、世界的にも誇れる体制であるということは周知のことです。しかし今回のような
パンデミックの状況下では、政治的にも医療的にも日本の危機管理能力が、とんでもなく脆弱であることが明らかにな
ってしまいました。政府が対応に右往左往していることで証明されてしまったように思います。



4月18日

  コロナ対策の影響で、もうすぐ3歳になろうとしている孫と過ごす時間が増えました。嬉しいやら、しんどいやら複雑な
気分です。インフラ関係、食品関係の仕事をしている息子夫婦のため、休園になった保育園の役割を担うことになった 
ためです。今更言うまでもないことですが、子どもから学ぶことって結構ありますね。
  孫は今パズルとはさみで紙を切ることにはまっています。あきもせず、何回も何回も繰り返し同じ事をしたがります。
パズルに関しては、15ピースからスタートして30ピース、65ピース、80ピースと進んでいます。 
パズルをする時は必ず全部します。15ピースはピースも大きく簡単にできるので面白くないんじゃないかと大人は思い
ますが、とにかく必ず全部します。我が家に来ると一日何回か、このフルコースをこなします。
本当に、そのしつこさには感心するばかりです。しかし考えてみれば「繰り返し」は何かを身につける時の基本ですよね。
大人の私は、だいたいできたらOK、後の努力はいい加減になるのが常です。孫を見ていて改めて基本に立ち返りました。
  ひとの振り見て我が振りなおせ!  最近は知人とラインで交流することが多くなり、だれかが「今散歩中です。」と送っ
てくると「今日はサボろうかな」と思っていたなまけ心に鞭を打つことができます。 
 人はこうやって年齢問わず、刺激を与え合って、注意しあって、学びあって成長していくのですね。 



3月22日

  いつもウォーキングをしている川沿いの道の桜が、薄いピンクの小さな花を咲かせていました。昨日初めて気づきました。
今年は関東での開花が関西より早いようで、いつになったら身近に桜が見れるのかなと思っていた矢先 のことでした。
 思い起こせば、2018年台風21号だったと思うのですが大阪を直撃して私が住んでいる所でも大変だったと聞いています。
実はその時、私は夫の岡山の実家にいて、怖い思いをまったくせずに済みました。
大阪に戻ってきていつものようにウォーキングに出かけて初めて、川沿いの大きな桜の木が何本か倒れているのを見ました。
本当に驚き、台風のすさまじさを実感しました。
しばらくの間、倒れたままの状態が続き、大好きな川沿いの歩道を歩くたびに心が痛みました。  あれから1年以上の時が流れ
川の周辺はきれいに整備され、老木が何本か伐採され、若い桜の木がたくさん植えられました。細い、空にまっすぐ伸びる若木
の枝に今年はたくさん花が咲くのだろうか、以前のように見事な桜並木を楽しむことができるのだろうかと心配していました。
昨日、老木も若木も共にかわいらしい小さな花をつけていたのを発見して、気持ちがほっこりしました。 
しかし、枝ぶりをじっくり見るとやはり老木の方が、味わいが深く、見ごたえがあります。桜の寿命は60年とかそれ以上とか 
いろいろ言われています。人間もそうですが、長い人生の中でつらいことも苦しいことも、もちろん嬉しいこともあるでしょう。
様々なことを乗り越え、人はそれぞれの人生を築いていくのです。桜の木も、寒い冬も暑い夏も嵐も雨もいろいろなことを乗り越
えながら、それぞれの枝ぶりを作ってきたわけです。今年は世代交代の桜を楽しむことができるのかなと思っています。
一つとして同じ形のものなど ない老木の枝ぶりの美しさや力強さを味わいながら、若木のこれから幹がどんどん太くなって美し
い枝ぶりになっていく可能性を想像しながら、花自体の華やかさは少し例年より劣るかもしれませんが、今年も大好きな桜をた
っぷりと味わいたいと思っています。 
年々老いていく私達ですが、桜の老木のように、若木には出せない何かを伝えられたらいいですね。 



3月11日

  皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
コロナウィルスにより、 学校が休校になったり、イベントが中止になったり、公共施設が閉鎖になったり、国内の経済も
刻々と深刻な状況になっています。飲食業、観光業、接客業、中小企業などの日に日に苦しくなっている様子が、テレビ
でも報道されるようになっています。私の生活も家で過ごすことが長くなり、テレビを見る時間が増えました。
ニュースは、不安になるような内容が多く気持ちが暗くなります。私の趣味の集まりも現在全てキャンセルです。
外出は、買い物とウォーキングのみとなりました。ストレスがたまってきますが、何か自分でできる工夫を考えることも
大切ですね。悲しいことですが、コロナウィルスへの不安やストレスからくる揉め事が、世界中あちこちで起こっています。
こんな時こそ、皆で力を合わせなければならないのに・・・。苦しい時に、人間の本性が出ると言いますよね。
自分の弱さを自覚し、その弱さとの闘いなんだろうと思います。
  さて、家にいる時間が長くなったことで私の生活の変化ってなんだろうと考えて見ました。
 1.掃除の回数が増加・・・他にやることがないからでしょうか?
 2.料理のレパートリーの増加・・・おなかが満たされればいいじゃなくて、よりいつもと違った味を楽しめたらいいかな、
                という思いから。新しい料理を出したときの夫の反応を見る楽しみがある。
3.ドラマの視聴数の増加・・・アメリカ版、韓国版、中国版、日本版、語学の学習を兼ねて連続で見ている番組の数が 
                急増。これって現実逃避?
 4.楽器の練習時間増加・・・合奏できないストレスは、音源に合わせながらの練習で、合奏している気分をちょっと
                感じることができる。
 5.お財布の現金支出減少・・・外で活動したらやっぱり支出増えるよね。
  取りとめもないことを書きましたが、暗いことばかり考えるんじゃなくて、物事考えようです。一つのことも視点を変えて見る
 ことも大切ですよね。大変な時こそ、心豊かにを忘れないように気をつけましょう。難しいことですが・・・。
  今日は、3.11、9年前の今日、日本で起こったことも忘れてはいけないことですね。
普通の生活を普通にできることが幸せなんだろうな、と思える今日この頃です。 



2月24日

  本当に日本政府にはがっかりです。森友,加計問題、桜を見る会、国会議員の不祥事、国会の与党、野党のやり取りなど見て
いったい日本の政治はどうなっているんだと思うことは度々でしたが、心の隅っこで、でも国を動かすって並大抵のことではない
のだから、失策もあるだろうと政府を擁護する気持ちが無かったわけではありません。 
今問題になっているコロナウィルスの件でも、正体の分からないウィルス対策、初めての危機でどうすることがベストなのか分から
ない中での決断、ある意味後手後手になるのは仕方の無いこと、現場の 最前線で対処している人たちの必死さ苦労は、筆舌に
尽くしがたいことだと思っていました。せめて批判のための批判ではなく、行なったことの何がだめで、どうしてだめだったのかを
きちんと議論して精査して、今後につなげて欲しいと願うばかりでした。
 ダイアモンドプリンセスの件は、船舶の所有はイギリス、管理がアメリカ、イタリア出身の船長、スタッフも外国人が多数という
複雑な状況の中で、日本がやれることには多少の限界があったのは確かかもしれません。
政府に求められたのは、早い段階で乗客を降ろせば、国中にウィルスを撒き散らすことになるかもしれない、乗客を船上に止め
れば船上で感染は広まるが国内に蔓延することは防げるだろう、降ろすか降ろさないか、この二者択一だったのでしょう。
そして船上の人たちを犠牲にする方法を選んだと言うことなんじゃないかと思います。もちろん船上で人々を助ける努力をしなか
ったわけではないでしょうが。でも、その決断を、世界から批判され、また船上の人たちからも抗議を受け、船から降ろすことに
きめました。問題はその後です。検査結果は人によっては、下船のずいぶん前の結果で、検査と下船の日までに間隔のある人は、
下船までの数日間に感染の可能性があったわけです。 また乗務員の感染があったにも関わらず、客室での隔離がしっかりできて
いたという判断をくだしたこと。公共交通機関を使って帰宅してくださいと指示を出したこと。とどめは、23人が検査漏れで下船
したということです。あせって下船させ、もう閉じ込めませんから、後は自分の判断でご自由にと言わんばかりの措置ですよ。
結果、公共交通機関を使って帰った人の中から感染者が出てしまいました。本当に日本政府にはがっかりです。
どうにかならなかったのでしょうか。
私の予想ですが、オリンピックを盛り上げることはもうすでに無理なんじゃないかと。東京開催も危ない状況だと思っています。
 日本政府よ、国民の命を守るための危機管理もっとしっかりしてください。国会答弁を聞いていて、なんでこんな人が大臣なん?
という印象を与える人もいます。私たちもしっかり政治家の資質を見極めて選挙に臨まないといけませんよね。
日本の官僚たちよ、忖度じゃなく、保身じゃなく、日本の国民のために現実に見合った、国民のためのことを、賢い頭でしっかり
考えていただきたいです。



2月12日

  先日、ギターの先生の自宅のスタジオでレッスンを受けました。               
 レッスンが終わってからスタジオの隅っこに見慣れない物があるのに気づきました。
 形は、楽器の裏がでっぱっていてマンドリンに似ていますが、大きさはマンドリンより
ずっと小さいです。そして中国の楽器二胡のように長い柄がついていました。 
私が先生に「何ですか?」と尋ねると「イランの楽器だよ。手にして いいよ。」とおっ
しゃいました。始めて見る楽器でした。  
名前はセタール。セタールというのはペルシア語で三弦という意味です。
約250年ほど前に4本目の弦が加えられて今では4弦になっています。
弦はとても細く繊細な感じで、爪で弦をかき鳴らすようです。
 
 
 
 
 
 



1月26日

  政治家小泉進次郎が滝川クリステルと結婚!という報道を聞いた時は実に驚きました。私が抱いていた2人のイメージ
から、まさかそんな組み合わせはないだろうという驚きでした。あれから時が経ち今年に入って 男子誕生! 進次郎が 
育休を取る!と騒いでいる人がいるとかいないとか。国会議員が、しかも大臣が育休とか言ってる場合じゃ無いだろう
という人もいるようですが、私の意見は「いいんじゃない。」です。2週間、しかもなるべく仕事に支障の無いよう工夫して
取ると言ってるのですから No Problem!ですよ。女性の社会進出、少子化が進む日本で、男中心社会の風潮や日本人
の意識を変えていかなければならない時代になってきてると思います。昔のように家の事、子育てはすべて女がという時代 
ではありません。子は国の宝、家族の宝です。国がしっかりサポートして、夫婦、家族が助け合って育てあげるべきです。
 思い起こせば私も働きながら2人の子どもを育てあげました。出産は2人とも実家でした。祖父母、父母、実姉のサポート
を受けて本当に恵まれた環境の中で迎えることができました。産後も育休を取り、夫の理解もあり、子どもの世話にある
程度慣れるまで実家に居させてもらえました。祖母はよく「産後20日間くらいは心身ともに気をつけないといけない!産後 
の肥立ちが悪いと後々大変なことになる!」と言っていました。最近よく耳にする、産後うつのことも含めたアドバイスだった 
のではないかと思います。ホルモンバランスの崩れや出産時の体力消耗のせいで、思うようにいかない自身の体の状態と 
昼・夜関係ない赤ん坊のペースに振り回されて、こんなはずじゃない、何でこんなに思うようにいかないんだと焦り落ち込み 
どんどん悩みから抜け出せなくなってしまうんですね。この時期を上手に乗り越えることの大切さを私たちはもっと認識しな
ければなりません。そのためにはサポートが必要です。まずはこれから父となる夫、そして駆けつけられる家族、地域の
保健相談員など様々な 人のサポートとゆったりとした時間があることが望ましいです。
最近私の知り合いの息子さんに4人目のお子さんが生まれました。息子さんは子どもを育てるのは大変だけど楽しいと言っ
たそうです。私の2人の息子たちも感心するほどよく家事、育児をしています。日本も少しずつ変わってきているのかなと
思える状況です。先日、テレビでも育休のことが取り上げられていました。世界的に見て、有給育児休暇が取れる日数は、
日本が他国に比べてだんとつに多いそうです。しかし、取得率となると6%ちょっと上回る程度。 
権利はすでにあるのに、その権利を行使しようとした時それを 阻む風潮が強くあるということです。
そういう風潮に風穴をあけるためにも、小泉進次郎の育休取得を応援したいです。
そして奮闘している2人の我が息子たちの子育てのサポートも出来るだけしていこうと思っています。
まだまだ元気でいないと!!!! 



1月10日

             謹   賀   新   年
   
  年が明けてすでに10日が過ぎてしまいました。お正月といえば年賀状。どんな工夫を凝らした年賀状が届くのか、以前は
かなり楽しみに待っていたものです。しかし、時代の変化と共に次第に手書きのもの手作りのものから、パソコンで打ちだし
た活字のもの人の温かみのあまり感じられないものへと移行してきました。最近では、はがきを使わずメールやラインで挨拶
を済ませる人も増えてきました。めんどくさがりの私は「そろそろ年賀状は止めます。」宣言を したいくらいなので、そのよ
うな傾向もすんなりと受け入れてしまう人間です。頂くのは楽しみでも自分で手のこったものを作るのは面倒という身勝手な
人間です。 ところが私の夫は,そういうところにこだわる人で、毎年300枚程度の年賀状をパソコンの活字の部分ももちろ
んありますが必ず自筆で相手の人の顔を思い浮かべて一言二言添えます。住所も手書きです。
普段会えない人は特に感謝や懐かしさを感じながらその人に数分間でも思いを寄せることが大事なのだと言います。
すごいな、といつも思います。でも、いい加減な私にはまねは出来ません。
そんな夫ですから知人友人をとても大切にします。日本のどこに行っても(言い過ぎかもしれませんが) 連絡をすると
大変なおもてなしをしてくれます。もちろん大阪に来た時は、私が都合悪くても、ひとりでもおもてなしをしようとします。 
私は夫によく言われます。「一度知り合った人とのつながりを保つ努力をもう少ししたら?それしないから友達少ないん
じゃない?」と。確かにそうかもしれません。ついつい、めんどくさい事はいやが先にたってしまいます。
人との関わり人との出会いは大切ですね。今年はそこをもう少し大切にしていかなければと、いい加減な私は改心しております。 
            今 年 も ど う ぞ よ ろ し く お 願 い し ま す。 


12月27日

 いよいよ2019年も終わりです。皆さんにとってどんな年だったのでしょうか。。
新しい年を迎えるにあたって、私の1年を振り返ってみようと思います。 
  まず、かわちマンドリーノに関わって
2014年10月からメンバーにいれていただいたので、もうすでに5年が経過しました。演奏会は3回参加しました。
思いおこせば、最初の演奏会は1月でした。10月に楽譜をいただき、演奏会まで日数がないのに用事で練習に参加でき
ないこともあり、とても焦りました。練習の時の演奏を録音して、その音にあわせて、家で何度も練習しました。
年末には 夫の実家にマンドリンを持っていって練習するほどでした。演奏会当日は練習不足という思いもあって緊張感は
半端なかったです。そんなことも今では良い思い出です。今年になって、古くからの部員の一人からホームページの担当を
してくれないかと言われました。実は私がかわちマンドリーノを知ったのは以前ホームページの担当をされていた方が作っ
たホームページのお陰でした。私とかわちマンドリーノを繋いでくれたのがホームページだったのです。 
何か始めたい、学生時代にやっていたことをもう一度と迷っている人にとって、とても役に立つ情報源がホームページなの
ではないでしょうか。これは自分の経験から実感できることでした。更新されないホームページを見て残念に思っていた頃
だったので 「急がないのであれば少し勉強してホームページ作ってみます。」と返事をさせていただきました。
そんなこんなで 私のホームページ作りが始まりました。本当に悪戦苦闘の連続でした。夫も自分の趣味のクラブでホーム
ページの担当をしているので、ある程度のアドバイスはしてくれました。しかし、自分で苦労してやらないと本当の意味で
自分が作ったことにならない、といって適当なところで手を引いてしまいました。
夜中の2時、3時までパソコンの前に座っていることも何度もありました。出来上がって皆さんに見ていただけるようになった 
時は、叫びながら小躍りしたくなるような喜びでした。今年の私のかわちマンドリーノに関する最大の出来事は、なんと言って
もホームページの公開です。そして、これからの私の願いは、そのホームページを見て以前のメンバーが戻ってきてくださる
ことと、かわちマンドリーノに興味をもった新しい仲間が入ってきてくださることです。 そのためにも公開したホームページを
さらによくする必要があります。そしてそのためには、皆さんのご意見や協力がとても重要です。忌憚の無いご意見を聞か
せていただければと思います。よろしくお願い致します。
  2つ目はアンサンブルのギターパートの勉強を始めたことです。コードを覚えたり、スムーズなコード進行が出来るように
練習しています。息子には「マンドリンあるのに、ギター新しく買って、お母さんどこに向かって行こうとしているのやら。」 
とあきれられています。とにかく今年は新しいことにけっこう挑戦できたかなと思える年でした。新しいことに挑戦するって、大変
なこともあるかわり、わくわくするような楽しさもあると感じました。来年はどんなことに出会えるのでしょうか。今から楽しみです。
 
  皆様、公開以来ブログを読んでいただいて誠にありがとうございました。かわちマンドリーノのメンバーの皆さんには、来年も
テーマは問いませんので、ブログに投稿していただければ幸いです。相互交流の一つの手段になればとの思いです。 
 令和元年も暮れようとしています。よいお年をお迎えください。来年も頑張りたいと思いますので、相変わらずよろしくお願い
いたします。


12月22日

  クリスマスの時期になると毎年楽しみに見ていた小田和正の「クリスマスの約束」。
今年もクリスマスが近づいてきました。 
 先日(20日)何を見るでもなくテレビのチャンネルを適当に変えていたら、小田和正音楽特番「風のようにうたが流れ
ていた」というのをやっていました。「クリスマスの約束」と番組の進行が似ていたので「クリスマスの約束」がこれに変
わったのだと思い込み、あわてて録画しました。私は、小田和正のあの透きとおった、やわらかい優しい声が大好きです。
心が洗われるようです。出演者の中で特に印象に残ったのは矢野顕子さんと渡辺謙さんの娘、杏さんです。
矢野顕子さんについては独特の音楽性をもったアーティストですが、意外と声の質は好きかもと思いました。
キャラもなかなかおもしろいですね。杏さんの歌は初めて聴きました。歌もうまいですが澄んだ声もなかなか素敵でした。
子供の頃、教会の聖歌隊で歌っていたのだそうです。
 今日「クリスマスの約束」は2年ぶりに12/25の24時10分からあるということを知りました。もちろん録画予約しま
した。興味のある方、もうすでに知っているとは思いますが、みんなで素敵な音楽にどっぷりと浸りましょう!


12月7日

  先日、テレビでイタリア製のヴァイオリンと日本製のヴァイオリンの対決を取り上げた番組がありました。
その他にも、ドイツ製ビールと日本製ビール、フランス製ワインと日本製ワイン対決などもありましたが、やっぱり 
興味を引いたのが楽器対決でした。決定を下すのは、ヴァイオリン演奏家、音楽評論家、オペラ歌手など6人の
音楽関係者でした。どちらのヴァイオリンなのかわからない状態で音色を聞いた結果、私が魅かれたのはイタリア
製のヴァイオリンの音色でした。音楽専門家による結果は4対2で日本製の勝利でした。
日本のヴァイオリン職人は、「みんなに日本の木からりっぱなヴァイオリンができるはずがないとバカにされながらも
自分の人生をヴァイオリン作りに捧げてきた。」と言っていました。結果が出た瞬間、信じられないという表情を浮か
べ目からは涙があふれていました。楽器に多くの愛情を注いできて、自分の思いが叶ったと思えた瞬間だったので 
しょうね。どちらも素晴らしい楽器で、音色はもうこの段階では好みと言うしかありません。判断する人を変えれば結
果も変わったかもしれません。 
 私のマンドリンは、1923年生まれでもうすぐ97歳です。購入時、店の人に「楽器の良し悪しは木で決まります。
だいたい、12~13年木をねかせて、その期間に腐ったり、割れたりしてしまって、使えなくなるものもでてきます。
いい状態で年数を重ねた木が高価な楽器になるんです。」と言われました。私の相棒は生まれて96年、ねかせてい
た年数を加えれば、1世紀以上も前の木で作られているということです。すごいです。
大事に気持ちを込めて弾きこんでいけば、もっともっと良い音色が出るかもしれません。楽器にも命があるんですね。
愛情をもって向き合っていきたいです。これからも一緒に音楽を楽しみましょう。よろしくね、という思いです。


12月2日

  光陰矢の如し。5月に年号が「令和」に変わり、あっという間に時間が過ぎてしまいました。仕事から離れ、社会とのつ
ながりがちょっと薄れた退職組みの私にとって、師走といっても以前のようには、せわしなさを感じないのが実際のところ
です。時間を自分の勝手で使えるからでしょうか?忙しくなるのも暇になるのも自分の都合で操作できるわけですから。 
幸いにも、私の場合は親の介護が無くなったことも起因しているのでしょう。その上、夫も私も年相応の衰えはあるものの
元気に毎日を過ごせていて精神的にゆったりとしているからでしょう。幸せなことです。 
  11月末には、広島県の呉市、広島市、宮島を訪れました。呉市を訪れたのは初めてでした。呉市は軍港として繁栄し
たまちです。夫の希望で大和ミュージアム、、そして国内で唯一潜水艦を間近に見れるスポット、アレイからすこじま、音戸
の瀬戸公園などへ行きました。大和ミュージアムでは、戦艦大和の10分の一の模型やゼロ戦などが展示され、呉の造船
技術のすごさを知ると共に、日清戦争、日露戦争、第一次大戦などの勝利を背景に、日本が第二次世界大戦へと突き進ん 
でしまった過ちについても再度学ぶことが出来ました。小さな国が大国と戦い勝利したことにより、自分たちの国力を過信
し過ぎてもたらされた結果だと思います。小さな国なのに技術力の高さゆえ、ある意味大国に脅威を感じさせていたのも事 
実だったのでしょう。プライドを持ちすぎることの危険性を感じました。広島市の平和記念資料館とはまた違った学習ができ
ました。アレイからすこじまでは、初めて潜水艦を見ました。見知らぬ男性が「先日来た時は潜水艦がたくさん並んでいて湾
に入ってくる様子も見れた。すごかった。今日は見ごたえ無しだ。」 と。音戸の瀬戸公園付近は平清盛が切り開いたと言わ
れている所です。清盛像もありました。小高いところにある公園で見晴らしがとても良かったです。その公園から見える島
で情島(なさけじま)という島があって人口11人と書かれていてびっくり! ボードを思わず写真に撮りました。
最終日に宮島に行きました。3回目の訪問でした。天気は曇りでしたが、もみじ谷はやっぱりきれいでした。 
今回はロープーウェイで弥山に上がりました。往復1時間強の山歩きも挑戦しました。ちなみに弥山の高さは標高535m。
晴れていなかったので景色はもう一つかなと思いきや、曇りの日の一味違った景色を味わうことが出来ました。 
こんなこと出来るのも、気持ちにゆとりができたお陰です。 最近世界の情勢は心配なことだらけです。
この穏やかな日々が奪われないことを願います。 
 
 なさけ島 人口11人
 
  アレイからすこじま
   手前に潜水艦
       
   宮島 もみじ谷
    
  弥山山歩きの頂上付近
 


11月25日

  先日、知り合いが参加している混声合唱団 Shall we dance? の演奏会を聴きに堺まで行ってきました。
演奏会は4部構成で、1部は、車椅子の詩人、星野富弘氏の詩にメロディーをつけた楽曲でした。この演奏会に行こうと
決めた理由がこの1部に興味をもったからです。実は星野富弘さんは私の母校の大学の先輩で、と言っても彼は私より
6歳も年上で、もちろん大学で出会ったわけでもないのですが、同郷ということで親しみを感じる人物でした。 
彼は中学校の体育の先生で、教師になって2年目に、クラブ指導中に頸髄損傷で手足の自由を失ってしまいました。 
彼の詩集をご覧になったことがありますか? どの詩にも、とてもやさしいタッチの花の絵が添えられています。
その絵は、手で描くことができないので、絵筆を口にくわえて描いている絵です。詩も絵も彼の人柄をよく表しているのだ 
と思います。楽曲は、静かでもの悲しさを感じるメロディーあり、未来に向かう パワーを感じるメロディーありで、体の奥
底に響きました。
  2部3部は、団員の若さを感じるステージでした。歌あり、ダンスあり、笑いありで、とてもストーリー性のあるもので
した。「平成でも暮らし」 大正デモクラシーをもじったタイトルで、J-pop を、「ミュージカル劇場」のタイトルで
ミュージカル音楽を聞かせてくれました。それぞれの曲にあった衣装をつけたり、効果をあげるための工夫もなされて
いました。出演者も観客も一緒に楽しめるパフォーマンスでした。
  4部は、ちょっと変わった試みで、少年刑務所の受刑者の心の叫びを綴った詩に、Shall we dance? の指揮者がメロ
ディーをつけて作り上げた楽曲を無伴奏で歌いました。1部ほどの感動はありませんでしたが、きっと詩集を読んだ後
に聞いたら感想も違ったかもしれません。図書館で詩集を探してみようと思います。 
 とにかく音楽好きなメンバーたちが、自分たちらしいをモットーに作り上げた演奏会という感じがして、終わった後、
エネルギーをいただいたようで、気分爽快でした。ところで、 私たちの演奏会のホール予約取れたかな?



11月15日

  前回ブログを更新した後、あっという間に1ヶ月が過ぎてしまいました。最近、時の流れがとても早く感じられます。
生活が充実しているためでしょうか? 世間ではこの間、台風19号が東日本を直撃してあちらこちらで川が氾濫したり決壊し
たりで、想像を絶する被害がでました。私の実家の近くには利根川があり、長男の妻の実家の近くには千曲川あり、本当に心配
 でした。最近の気象状況は、何が起こるかわからないという不安を掻き立てます。早めの対策が必要だと実感するこの頃です。
  また、天皇即位礼の儀やパレードや大嘗祭など日本古来の行事があったり、国会議員の不祥事が続いたり、特に文科省大臣
の「身の丈}発言には本当にこんなことを平気で言う人が日本の教育の頂点にいるのかと怒りを禁じえませんでした。
私の周囲では、夫と同期の会社時代の友人が二人亡くなりました。夫は特にショックだったようです。以後私たちの会話の中に
 「健康第一。病気には気をつけようね。」という言葉が増えたように思います。
最近は特に、一日一日を大切に、やりたいことはやるぞ、行きたいところには行くぞという心境です。 
 最近の私ですが、毎月布施マンドリンのボランティアで演奏しています。上手に演奏できないことも度々ですがいろいろな
 曲が演奏できてとても楽しいです。また「マンドリンの音はきれいですね。」なんて言われると嬉しくなってしまいます。
今、ギターの練習にも力を入れています。思い立ったら即実行ということで、新しいギターも買いました。 
「恋は水色」スリーフィンガー奏法を練習中。合奏のギターパートをかわちマンドリーノとは別の所でチャレンジしています。 
少し前ですが、音楽の都ウィーン、モーツアルト生誕の地ザルツブルグにも行ってきました。たまたま、友人二人が計画して
いた旅行に便乗させてもらいました。残念ながらコンサートには行けませんでしたが、8日間の旅満喫しました。 
夫には、「おまえは、いつもやりたいこと広げすぎだよ。」と言われてしまいます。退職するまでは、やりたいことを我慢する
ことが多かったし、これからは老いに突き進んでいくわけなので、出来る時に出来る事をすることにしました。

ザルツブルグ
サウンドオブミュージ
ックの撮影場所
 

ウィーン  オペラ座
 

ウィーン 
ヨハンシュトラウス像
 

ウィーン 
シュテファン大聖堂
 

チェコ
チェスキークルムロフ


10月17日

  先日友人に兵庫県立美術館のことを聞きました。私が音楽に興味があることを知っているその友人は、この美術館で
時々、音楽的なちょっと面白いイベントをするからチェックしてみてと教えてくれました。さっそく調べてみると、10/12~
11/24の日程で「日本・ポーランド国交樹立100周年記念・・・ショパン200年の肖像」というのを開催していました。 
展示はその期間いつでも見れますが、週末は入場チケットに無料コンサートや講演会がセットされています。 
私は14日の祝日に行ってきました。展示は私的にはあまりインパクトはありませんでした。講演会もありましたが、楽曲に
ついての学問的な話だったので眠気との闘いでした。しかし、コンサートはとても印象的でした。 
学生時代ショパンに魅せられ、ポーランドに音楽留学し、ポーランド人と結婚し、現在ポーランドに在住しているという 
ピアニスト、西水佳代さんのコンサートでした。彼女の視点で作られた「ショパンとポーランド~音楽と映像でたどる歴史」 
を見ながらの鑑賞でした。ショパンの39年という短い生涯での心の葛藤なども知ることができました。
子犬のワルツ、別れの曲、ノクターン、英雄 ポロネーズ・・・・・などなど、ピアノの優しい音から力強い音まで、小さな会場
で思う存分味わいました。 
ショパンお好きな方、兵庫県立美術館チェックしてみてください。 
土曜日は、国際美術館にクリムトの絵画を見に行ってきます!芸術の秋を堪能してます。 



10月14日

  昨日のラグビーの試合、クールでしたね。もうじっと座って見ていられませんでした。福岡選手の2回のトライ、松島選手
のトライ、笑わない稲垣選手のトライ、もう最高にエキサイティングでした。最後の10分は、どきどきでした。チームワーク
の強さ、パスの速さ、あきらめないぞという気迫。努力は報われる、あきらめなければ道は開ける、勇気をいただきました。 



10月8日

  今、日本のあちらこちらで人々がラグビー、ラグビーと沸いています。ルールもよくわからないのに、ワールドカップとか
世界とか名目のついたスポーツ大会があると、私はついつい、にわかファンになりテレビにかじりついて日本を応援して 
しまいます。最近ではテレビでラグビーのルールを解説してくれるお陰で、私のラグビーの知識もちょっとレベルアップ
してきました。そしていつものように、以前から ファンだったかのようにキャーとかワァーとか叫びながら、トライが決まる
と手をたたいて跳びあがって喜んだりしています。我ながらはずかしーい! 
  しかし以前は、ラグビーなんて野蛮で危険なスポーツだと思っていました。ボールを持っている人を押し倒して、何人
もの人が重なり合って動きを止める、ラグビーは面白いスポーツだという人の気が知れませんでした。 
  危険だと思う気持ちは依然ありますが、それだけではないラグビーの魅力が少し分かってきたような気がします。
激しい動きの中で、一人一人の選手が仲間の動きをしっかりと見極め、自分がどう動けば仲間をサポートできるのか、 
ボールが繋がるのかを瞬時に判断します。どんなスポーツにも共通しているのかも知れませんが、個人の能力だけでなく
集団の力が強く求められるスポーツなんだと思います。 サモアとの対戦はとても楽しめました。最後の最後まで4つ目の
トライを目指してチャレンジした選手たちは、とてもかっこ良かったです。
私は文系人間なので、スポーツできる人を尊敬してしまいます。 13日は強豪スコットランドとの対戦です。ワクワクです。
頑張れ日本!!世界陸上はすでに終わりましたが、ワールドカップバレーは、現在プレー中。これも頑張れ日本!! 
スポーツ観戦が楽しい秋ですね。話題が飛びますが、台風の対策もしっかりしましょうね。被害がありませんように!




9月22日

  昨日、ギターを習っている先生のギター教室の発表会がありました。
生徒さんの中に目の不自由な方がいて、昨年の発表会の時にもその方のギターの弾き語りを聞いてすごいな~と思い
ました。今年も美しい歌声とギターの響きに感動して、うるうると涙ぐんでしまうほどでした。曲目は岩崎広美の思秋期
でした。今の季節にぴったりで、物悲しいメロディーをギターにあわせてしみじみと歌い上げてくれました。 
ギターにつけたカポを曲の変調のたびにすばやく移動させていたのにも驚きました。音楽を愛する気持ちがひしひしと 
伝わってきました。また、私を驚かせた方がもう一人いました。82歳の男性です。
なんと「アルハンブラの思い出」の難しいギターのトレモロに挑戦したのです。途中途切れることも無く、最後まで弾き
きりました。80歳過ぎてもあれだけ指が動くんだと本当にびっくりでした。私の音楽人生も80歳を目標にできるかな??
それまでに、私は、人前で演奏するときの過度の緊張感を乗り越えられるのでしょうか?私にとっての最大の課題です。
 今月は、5日に京都の劇団四季でミュージカル「ノートルダムの鐘」を鑑賞し、14日に香里マンドリンアンサンブルの
定演も聞かせていただき、文化的栄養をたっぶり摂取しました。まだまだ、いろいろな団体の定演があるので覗いて刺激
をいただいてきます。芸術の秋です。皆さんはどんな秋をお過ごしですか? 



9月8

  「継続は力なり」という言葉をよく聞きますが、言うは易し、行うは難しです。今日は、忙しい生活の中で、何とか時間を捻出して
ギターを続けてきた我が部員の一人に投稿していただきました。
 
     私は中学の時にギターに出逢いました。オルガン、ピアノ、ウクレレ、アコースティックギター等いろいろな楽器を触りま
   したが、結局クラシックギターの音色が一番好きで、これを続けています。
     さて私は、かわちマンドリーノとは別に、現在少し変わった所でギターとの関わりをもっています。私のギターの師匠が
   やっていらっしゃる視覚障がいの方対象のギター教室で、アシスタントをさせて頂いているのです。
   そこへ通い始めて9年目になります。
   アシスタントと言っても先生と二人で別々に生徒さんを責任をもって見させて頂いています。この教室には中高年の男女7名
   が来られていますが、とても意欲的で明るい方ばかりです。
   視覚障がいとひとくちに言っても、全盲の方、弱視の方、そして生まれた時から、途中から障がいをもたれた方、また以前に
   ギターを経験されている方、全く初めての方、それぞれ状況が違います。楽譜を見ることはできませんので、譜面台はもちろ
   ん必要ありませんし、暗譜になります。中には80歳前の方もいて、発表会の曲、数曲を全部暗譜されます。
   曲を練習する時もすべて言葉で説明し、弾いていただくようにしています。分かっていただくのにとても難しい面がありますが
   やりがいを感じると共に、私自身の勉強にもなります。これからも教室の皆様と頑張っていきたいと思っています。
 
  一生懸命になれることがあるって、平凡な日常を本当に豊かにしてくれますよね。どうぞギター教室の皆さん、音楽の楽しさを
充分味わってください。そして、「継続は力なり」です。「上手になりたい」と思う気持ちをいつまでももち続け、練習に励んで、
美しい音楽を創りあげて頂きたいと思います。ギター教室の皆さん、応援しています。
投稿者さん、これからも音楽好きの生徒さんが増えるよう頑張ってください。もちろん、私も頑張りまーす。



8月30日

  震災乗り越えた“希望のピアノ” 神戸港町に響く“人生の音色” ・・・・ 昨日、朝のテレビ番組でアナウンサーがなにやら語り
始めました。私の耳のアンテナがピーンと立ち、目は画面に吸い寄せられました。 
  同時に2年前のローマでのことがよみがえりました。帰国のフライト待ちで空港の待合場所にいた時、突然きれいなピアノの音
が流れてきました。どこから聞こえてくるのだろうと、辺りをきょろきょろすると少し離れた所で男性がピアノを弾いていました。
ピアノの存在すら気づかなかった私ですが、さすがに美しい音色にははっとさせられました。近づいてみるとピアノの横にはスーツ
ケースがあったので空港のスタッフではないことがすぐにわかりました。だれでもフライト待ちの間弾いていいのだとわかり、 
なんだかほっこりする気分を味わったものです。 
  そう、テレビでは、ストリートピアノのことを取り上げていたのです。阪神淡路の震災の時、神戸のある幼稚園で使われていた
ピアノが震災で壊れることなく生き延び、幼稚園閉園後は、ストリートピアノとして人生を再スタートし、人々を励まし続けている
というレポートでした。 
  ストリートピアノは2008年イギリスのバーミンガムで初めて設置され、日本では2011年鹿児島が最初だったようです。
今では全国50ヶ所以上の場所に、自治体や音楽関係のショップなどが設置しているとのこと。日本にも結構こういうピアノが
あったんだと、ちょっとうれしくなりました。身近に音楽があるっていいですよね。 
  みんながこの“希望のピアノ”を大事に扱い、それぞれの音楽を奏でる、上手な人もいれば習いたての人もいる、子どももいれば
若者も老人もいる、男性もいれば女性もいる、好きな曲、思い出の曲、大切な人が大切にしていた曲、習いたての曲、得意な曲、
いろいろな思いを抱いてピアノの前に座り、鍵盤に触れる、何か平和な穏やかな時間ですよね。ピアノさんいつまでも壊れること
なく活躍してね、と声をかけたくなります。
  私たちの演奏も、聞いてくださる方々と平和で穏やかな時間を共有できたらいいですね。



8月25日

  10日ほど前に義母の初盆が終わりました。
夫の田舎では盆の墓参りの時に、さいの目に刻んだ茄子と米を混ぜて墓に供えます。地域によってはきゅうりなども加えたり、
少し違ったものを、違ったやり方で供えたりしているようです。結婚以来、義母に言われるまま、疑問を抱くこともなく30年以上この
慣習を行って来ました。数年前ふと 茄子と米を供える って何の意味があるんだろうと思い調べたことがありました。
 これは「水の子(水の実)」といって無縁仏や餓鬼へのおもてなしなのだそうです。 
お盆の期間は地獄の釜の蓋が開いていて、あの世とこの世を行き来できるので、ご先祖様の霊だけでなく無縁仏や餓鬼など、いろ
いろな霊が墓地に現われるのだそうです。ご先祖様はお迎えから送りまで家族からの手厚いおもてなしを受けますが、無縁仏や餓鬼
などはおもてなしをしてもらえません。「水の子」は無縁仏や餓鬼などすべての霊をおもてなしする気持ちを表しているものなのです。
優しい気遣いの感じられる慣習ですよね。 
  最近は昔から伝わる慣習がだんだんと引き継がれなくなっていますが、一つ一つの慣習には意味があり、それを少しでも伝えていけ
たらと思っています。孫と墓参りをしながら、先祖がいてこその自分たち、そしてこの子らに繋がっているのだ思いました。
宗教心は薄い私ですが、先祖を大切に思う気持ちは持ち続けたいです。
 今日も、朝起きて一番茶を仏様に供え、といっても我が家には仏壇が無いので、義父母の写真を飾った簡易仏壇ですが、一日皆
元気に過ごせますようにと手をあわせて一日をスタートさせました。 



8月11日

 テレビのスイッチを入れると、あちこちのチャンネルで日韓関係のことを取り上げています。何か気持ちが沈みます。
日本政府による韓国への輸出管理強化発表後、7月25日から29日までの5日間不安な気持ちを抱きつつ韓国のテグとムンギョンに
行ってきました。今回韓国滞在中私たちをサポートしてくれる夫のテニスの友人はテグに住んでいます。彼は韓国のソフトテニス界
ではちょっとした有名人で日本語もよくわかるので通訳もしてくれて、とても心強い存在でした。今回の韓国行きの目的は、夫が大統領
旗ソフトテニス大会に出場することでした。日本チームは4人で参加しました。テグの友人が、「テニス協会が日本人の参加をよく受け
入れたな。私は終わるまでちょっとドキドキする。」と不安そうに言うので、空港に着くなり心配になりました。
 行きの飛行機は格安便だったのですが韓国人がほとんどでした。ということは韓国人結構日本に来てるんだ、と思いました。
帰りの飛行機は日本人がほとんど乗っていませんでした。テグの街で日本人に会うこともほとんどありませんでした。ひょっとして日本
人、韓国に来てないの?と思ったくらいです。(きっとソウルには日本人がけっこういるんだろうな。)  
やっぱり、影響はでているんだなと思いました。しかし、夫のテニスの仲間たちは本当に心よく私たちを迎えてくれて再会を喜んでくれ
ました。市民レベルの交流やスポーツ交流なども中止になっているというニュースを聞いていたので、今のように政府間の関係が悪い
時こそ、こういう交流が大切なのにとしみじみ思いました。
 試合はムンギョンであったのですが、テグの友人は、試合の間中、日本チームの監督(?)として同行してくれました。おかげで何の
トラブルもなく、60~69才のシニアの部で日本チームは優勝しました!!良かった!必死で応援しました。
   空港で荷物ウエイトオーバーしてたのに「サービス」と言って大目にみてくれたチェックインカウンターのお兄さんありがとう!
   「コインランドリーある?」って聞いたら「洗ってあげるよ。」って言ってくれたホテルのおばちゃんありがとう。 
   レストランで私の荷物が隣の座席まで占領してしまったので、持っていた日本のお菓子をお礼にあげたら、韓国のお菓子を倍に
   して返してくれた韓国人の夫婦ありがとう。あなたたちから日本語を聞けたことが嬉しかったです。 
   夫のテニスを通じての仲間たち、おいしいものをたくさんご馳走してくれて、お土産もたくさんいただいて、観光地にも連れて
   行ってくれて本当に本当にありがとう。 
充実した5日間を過ごせました。日韓関係が修復されつつあるというニュースを心待ちしています。 



8月9日

  猛暑の中、皆さん元気に過ごされていますか? 今日は、かわちマンドリーノ設立当時からのメンバーである方から投稿していただ
きました。嬉しいことです! 部員同士、お互いを知るきっかけになりますよね。それでは・・・・・。 
   
   私とギター
現在かわちマンドリーノに参加し、マンドリンアンサンブルを大いに楽しんでいます。パートはバスギターです。
ギターとの出会いは、55年前で1964年(昭和39年)東京オリンピックの年で高校一年生です。
入学直後の放課後、一人教室でぼんやりしていたところマンドリンクラブの二年生の先輩に強引に音楽室へ連れていかれ 
ました。そこで中学が同じだった顔見知りの二人に出会いました。二人は既に入部したとのことで、私も弾みで入部しま
した。一年生の時はパートはギターで、とても楽しく充実した高校生活をスタートすることが出来ました。 
1年間はギターに明け暮れました。二年生でのパートはマンドラ、三年生ではマンドセロでした。
卒業後一人で楽器を続けるならギターかなと思いました。社会人になって6年ほどした時に、駅でギター教室の案内
チラシをもらい参加しました。その教室はギター合奏が中心で活動していました。
私は技術が余りありませんでしたので右手が親指1本で弾くバスギターを選びました。
3年程活動したところで、ギター教室の組織改編があり活動終了となりました。
その後20年以上ギターから離れていましたが、1999年に高校クラブの同窓会が開催されました。
その時、有志によるマンドリンアンサンブルの演奏がありました。 
その演奏が契機となり定期的に練習会が開かれ、私もバスギターを抱えて喜んで参加しました。 
この練習会が2005年に「かわちマンドリーノ」の名称になり、現在に至っています。 
私自身ギターの技術がありませんでしたので、2008年の定年退職を機会にギター教室に通いレッスンを始めました。
先生はかわちマンドリーノの設立に尽力いただいた方で、スタートは60歳の6月6日の私の誕生日からです。 
あとから聞いたのですが、昔から習い事、お稽古事は6歳の6月6日から始めるんだそうです。 
54年遅れになりましたが、精一杯取り組み少しでも長くギターとお付き合いしたいです。 
今年5月から新元号は令和です。「令和」は英語で、「beautiful  harmony」(ビューティフル ハーモニー)
と言うそうです。なんだか少し嬉しくなりました。 
 
  いい出会いが、何かを始めるいいきっかけになるのです。そして自分の中で何か新しいことが始まると気持ちも元気になりますよね。
出会いを大切にしたいです。何もせずにじっとしていたら、出会いは勝手に訪れてきてはくれません。 
私とかわちマンドリーノの出会いも、確かに私を元気にしてくれました。




7月31日

  毎日暑い日が続いてうんざりですね。7月ももう終わりです。かわちマンドリーノの皆さん、練習に励んでいますか? 私はエアコンを
フル回転させ、練習を中断してパソコンを作動させました。実は嬉しいことに、第2弾のブログへの投稿がありました。
さっそく紹介しまーす。    
    私は府立山本高校の21期生です。かわちマンドリーノに入って8年になります。今、第8回定期演奏会に向けて楽しく練習に
   励んでいます。そして健康を維持するためにマンドリン以外にも色々な事に挑戦しています。
   まず、週1回のヨガ教室、その後のランチも楽しみの一つです。二つ目は、主人との共通の趣味であるボーリング。
   三つ目は、月一回の地元開催のハイキング。四つ目は、絵画教室。これは好き勝手に描いてよい会なので気楽に自由に描い
   ています。五つ目は、月一回のカラオケ。いろいろなジャンルの曲に挑戦しようということで、一度歌った曲は歌わないよう心が
   けています。その他、ボランティアで介護施設や自治会サロン等でマンドリンを演奏させていただいています。
   少しは頭の体操になっているかなと思います。
   昨年100歳で他界した父は「丘を越えて」が大好きで、ハーモニカでよく聞かせてくれました。私もよく懐かしの曲をマンド
   リンで弾きました。そんな時いつも「やっぱり音楽っていいな~。」と拍手してくれたことが忘れられません。
    今は、音楽の楽しさを教えてくれた父、そして私を受け入れてくれたすべてのメンバーに感謝し、1年でも長くマンドリンを続けて
   いけたらと思っています。 山高OBの方、そうでない方、一度練習風景を覗いてみてください。お待ちしています。
 
投稿してくださった方は、いつも明るく、元気な、活動的なお姉さんです。元気の秘密はこれだったんだとわかりました。 
元気いただきました! 



7月15日

  私は、若い頃から語学が好きで今までチャレンジした言語は、ドイツ語、フランス語、イタリア語、中国語、韓国語(ハングル)、英語
です。ほとんど、入門程度であきらめてやめてしまいました。とにかく語学と言うものは短期間でなかなか成果がでない、根気の要るしろ
ものです。上達しないイライラから、ついつい遠ざかって結局やめてしまう、というのがいつものパターンです。
でも 今でも時間をさいて取り組んでいるのが英語とハングルです。ハングルは何度も挫折しましたが、去年再開しました。
実は夫には韓国にテニスを通じての友人がいます。毎年、交流で韓国の人たちが日本に来たり、日本から行ったりしています。
毎回交流会に参加するわけではありませんが、私も一緒に参加することが増えました。韓国の人の中には、日本語を勉強してとても上手に
話す人がいます。私も片言でもいいから韓国語が使えたらなと思って本気で取り組みを始めました。私が知っている韓国人は日本や日本人が
好きでとってもフレンドリーです。日本には韓国のドラマや俳優、アーティストに夢中になっている人も多いです。
コンサートのためだけに韓国へ行く人も私の周辺にいます。民間では結構お互いにうまく交流があるように思うのですが、政府間の関係は
現在最悪ですよね。韓国の今の政権は、北よりで私的にはちょっと心配する部分もあります。国と国との約束を簡単に反故にしたり、レーダ
ー照射の問題など納得いかないことがいくつかあります。また、韓国は政権が変わると大統領だった人が自殺したり、殺されたり、逮捕され
たり末路がすごいです。朝鮮の時代劇に通じるものを感じます。 また北朝鮮から脱北してきた人と話をしたことがありますが、北朝鮮は私
が暮らせる所ではないと感じます。民族が同じだからと言いますが、本当に韓国、北朝鮮が統一国家を作れるの?と思ってしまいます。
今は、日本が韓国に対してホワイト国としての優遇をやめる措置をとったことで、韓国での反日運動が高まって、日本製品の不買運動も盛り
上がっていると言われています。文政権のやり方にも問題があるという政権批判は韓国には無いのでしょうか。現状はいったいどうなって
いるのでしょうか。今月末に韓国に行くことになっています。ソウルではなく、テグ(韓国第3の都市)や田舎のほうに行く予定です。
反日が高まっているのか肌で感じてこようと思います。暗い歴史もあって、お隣同士が仲良くするのは難しいことも多いのかもしれません 
が、歴史は忘れないで教訓にするべきですが、過ぎてしまったことに引きずられすぎて、未来を壊してはいけないんじゃないかと私は思い
ます。今の日韓の状況が変わってくれることを願っています。


7月7日

  昨夜、21:00から毎日放送(4チャンネル)の日曜劇場で「ノーサイドゲーム」というドラマが始まりました。
ストーリーは、エリート社員が企業買収に反対の意見を主張したことにより、結局左遷させられるというスタートでした。 
彼は、左遷先の工場で、ラグビーチームのマネージャーを兼務することになります。しかし、彼はラグビーの「ラ」の字も知らないまった
くの素人です。移動してきた当初、彼はチームの実態を見て廃部にすべきだという意見を持ちました。しかし、部員と接する中でその 
考えを変えていきます。大泉洋がその元エリート社員を熱演しています。昨日は彼の熱血せりふにちょっとウルウルしてしまいました。 
これからどんな展開になるか興味をもちました。みなさん、見ましたか? ドラマ好きな人にお勧めかも。 私も続けて見てみようかな
と思いました。ドラマは1回目でだいたい見る価値が決まるように思います。「下町ロケット」とか「陸王」とかのドラマに通じるもの
があるように思います。 ドラマは好きですが、最近は日本のドラマは面白いのがなくて、もっぱら韓流ドラマ、中国の歴史ドラマなど
を見ています。 楽しみが増えたかもしれません。



6月28日

  しばらく前から数人のかわちマンドリーノの部員さんにブログに投稿してくださいとお願いしていましたが、なかなか
文章を書くことに抵抗があるようで、私の手元には届きませんでした。ところが、やった!、昨日ようやく届きました。 
さっそく紹介します。 
 

 皆さん、こんにちは。ギターパートの「T」です。

ホームページ管理者から投稿依頼がありましたので、はずかしながら寄稿いたします。

「私にとって音楽とは」をテーマに私の考えを書いてみました。

①時間を気にせずに打ち込める大好きな趣味       ②他人様とのコミュニケーションを楽しめる素敵なツール

③規律を共有しながら音による緊張と緩和を楽しむ世界  ④なぜか血が騒ぐもの

 

等々、自分なりに冷静になって考えてみると、次々とその問いの答えが頭に浮かびました。

なんとその数は20項目にもなってしまったほどです。

これらを何回も読み返しているうちに、一つの詩が思い浮かんだので書いてみました。

 

音楽は人生そのもの

  ♪ 時の流れのなかで 私の心臓はベースのリズムを刻んでいる
 
 ♪ 外では風のハーモニーが聴こえ 時々小鳥のメロディーが流れている


  ♪ でも私は知っている ベースのリズムが いつか消えていくことを


  ♪ 音楽は人生そのもの

 

音楽というのは、言葉の無い時代からあったと言われていますが、自然が与えてくれた宝もので、ほんとうに

素晴らしいものですね。今後も、いつまでも、音楽と触れ合う人生を続けて行きたいと思っています。

 
Tさん、音が、動きが感じられる詩ですね。じっと目を閉じると映像が浮かび上がってくるようです。ベースのリズムは、
消えることなくきっといろいろな形で受け継がれますよ。 



月26日

  今日、ボランティアの仲間に「ブログ最近更新してないね。」と言われました。ちょっと前から私自身気になっていたこと
です。久し振りに更新します! 
 古くからの知人で私の家から徒歩で20分くらいの所に喫茶店を開いている人がいます。早期退職をして、退職金で 
喫茶店の経営を勉強して家を改装して開店しました。そこは、もちろん若いお客さんもいることはいるんですが、主に 
60代、70代、80代のシニアのたまり場、憩いの場になっています。何か元気が欲しい、人が恋しい、話題が欲しい 
という時、散歩がてらそこへ行きます。月に2回が1回になり、最近は5~6ヶ月顔を出さない状態が続いていました。 
先日久し振りに行ってきました。ほっとします。先輩たちが元気で頑張っている様子に触れると元気が出て将来に希望 
がもてます。80才過ぎても韓国のアイドル、ジェジュンに熱を上げてあちこちのコンサートに行って、キャーとかワーとか
叫んだり、徳永英明好き!とか言ってる 元気ばあちゃん。毎日あちこちウォーキングしながら一日を過ごすという70代。
社会で今問題になっている事、政治の話、旅行、健康について、読書や趣味の話、話題はつきません。コーヒー飲んで 
ホットケーキ食べながら、しゃべる、しゃべる!私も元気出さないと・・・と思っていつも店を出ます。 
私にとって大切な場所です。 
  先日、奈良の明日香で西日本シニアソフトテニス大会がありました。私の夫もその大会に出ました。
鹿児島と徳島から夫のテニス仲間が5人来て宿泊しました。我が家は時々夫の友人のために期間限定の旅館になり
ます。とてもサービスの悪い寝るだけ旅館です。最近、音楽活動がない時はできるだけテニスの追っかけをしています。 
こちらのシニアも皆元気です。本当に60代後半?70代?と疑いたくなるような人ばかりです。好きなことに賭ける熱意
にいつも圧倒されます。夫の親友は50才の時にがんで亡くなりました。彼はテニスが好きで、テニスに向き合う姿勢を
夫は彼から学ばせていただいていたようです。7月に亡くなったのですが、驚くことに同じ年の4月末に、これが最後の試
合だと言って私の夫とペアを組んで試合に出ました。亡くなる2ヶ月前ですよ。信じられません。テニスに賭ける彼の執念
ともいえる思いが、彼を突き動かしたのでしょうね。打ち込めるものがあるってすごいことです。死にも立ち向かっちゃうん
ですね。幸せなことに私にも一生懸命になれるものがあります。最近はやりたいことは我慢せずにやることにしています。
もちろん家族への迷惑は最小限にをモットーにです。 
何かを始めようかなと思っている人、迷って足踏みばかりしないで、まずは一歩踏み出すことが大切だと思います。
だれかと比べて、私は下手だからとか、覚えが悪いからついていけないとかじゃなくて、昨日の自分と今日の自分を
比べて、今日の自分の方が前向いて進んでいるなと、自分の中の変化を評価していきたいですね。
体が不自由で思うように活動できない人も、何かできる範囲で一生懸命になれることを見つけていただきたいです。
一日一日が違って感じられるのではないでしょうか。 



6月8日

  ついに梅雨入り宣言。これからじめじめと雨の多い日が続くのかと思うと憂鬱です。雨の日には、いろいろなことをする
意欲が減退して、だらだらと何をするでもなく時間を過ごしてしまうのが常です。雨が少なければ少ないで困ることがある
ので、そこは我慢の必要なところかもしれません。 
  昨日テレビを見ていて知ったことを書きます。みなさんは知っているかもしれませんが、私は「そうなんだ!」と初めて知
りました。梅雨といえばアジサイの花を思い浮かべてしまう私ですが、アジサイの花と思っていたのは、じつは花ではなく、 
ガクだということ。花のように見えるので装飾花とよばれています。装飾花をかきわけると奥のほうに本当の花である真花
が見つかるそうです。梅雨入りするとその真花が咲くらしいです。我が家にはアジサイがないので確かめられません。
昨日ウォーキングの途中、アジサイの花が玄関際に咲いている家がありました。確かめたいという衝動にかられましたが 
不審者と思われたら大変なので気持ちを抑えました(笑)。 私たちは、なかなか装飾花をかきわけて真花をながめる事は
ないですよね。それと同様に、いろいろなことの背後にある真実を知る、見極めることってとても大切なんだけれど難しい
ですよね。世界で起こっているさまざまな出来事然り、日本の政治然り、人間の心のありよう然りです。
 私は、BSフジのプライムニュースが好きでよく見ます。外交、内政、経済、不安なことがいっぱいです。 
本当のことは? 頭か混乱しますが興味深いです。 

  

  装飾花
 

 装飾花をかきわけると
 

  真花が現われる


5月28日                        

  近くのスーパーは駐車場が狭く、以前から出入りが混雑し、駐車場前の狭い道は特に夕方近くになると大変渋滞します。 
最近はポイントカードを導入したり、惣菜を充実させたりして客が増えたように思います。そのため車の渋滞はさらにひど 
くなっています。今日もいつものように車が列を作ってなかなか前進していませんでした。すると駐車場の入り口あたりから
4台目くらいに止まっていた、白いかっこいいスポーツカーが「ヴォヴォーン、グォーン」とものすごい音をたててエンジンを
ふかし出したので 一瞬びくっとしました。怖いくらいの音でした。あたかも「早く前に進まんかい!」と怒鳴っているようで
した。10分、20分待つわけではない、2・3分のことなのに、いやもっと短いかもしれないのに何回もエンジンをふかして
うなり音を出して脅しているようでした。その時、以前にあったあおり運転による悲惨な事故のことが頭をよぎりました。
一瞬、何か起きたらいやだなと思いました。
今朝は今朝で、川崎市で包丁を2本持った男が多くの人を切りつけ、自身もその包丁で自殺、という通り魔事件がありま 
した。どうしてこうも、人の心がささくれだって、何か余裕のない、辛抱の足りない、困難をうまく乗り切れない傾向が、あっ
ちでもこっちでも見られるのかと悲しくなりました。日本は本当に平和な国なのかと思ってしまいます。 
人の心がすさんでいって、人を傷つけたり人を抑圧したりすることを何とも思わなくなっては・・・と不安を感じます。 
今日は何か気持ちが沈む一日でした。でも今日の最後の最後で(1時過ぎました)、大坂なおみが、全仏オープンの1回戦
で負けるかもと思った試合に苦戦の末勝てたので、気をとり直して一日を終えることができました。


5月16日

  母の日に、大阪城ホールで「母に感謝のコンサート」というのがありました。私は二人の息子の母ですが、残念ながら息子
たちからのプレゼントではありませんでしたが(息子たちへの嫌味ではない)、自分たちへのご褒美としてチケットを自分
で購入してコンサートに行ってきました。夫は私の誘いということで、内心「たまには付き合わないとな」ぐらいに思っていた
でしょう。3時間半の長丁場のコンサートでした。出演者は、森山良子、南こうせつ、由紀さおり・安田祥子姉妹、秋川雅史
平原綾香 、熊木杏里、槙原敬之。特別ゲストが黒柳徹子、シークレットゲストが坂本冬美という結構豪華な顔ぶれでした。
 本当に感動的なコンサートでした。大阪城ホールがほぼいっぱいになるくらいの観客で、杖をついた母親を抱きかかえるよう
にして来ている人もいました。出演者たちは、ある時は涙を浮かべてしみじみと語ったり、歌ったり、ある時は笑いも織り込み
ながら、私たち観客の心をつかんでいきました。出演者の一つ一つの言葉に耳を傾けながら、自分の親のこと、自分が母親と
して子供たちとかかわってきた年月を思うと、次第に涙腺が緩んできてしまいました。
前の席のご婦人もメガネをはずしてそっとハンカチを持つ手を動かしていました。 思いは同じだね、と納得。
平原綾香が「おひさま~大切なあなたへ」という母の思いをテーマにした歌を歌いました。私は見ていないので知らなかったの
ですが、現在放映中のNHKの朝ドラのタイトルバック音楽だそうです。とってもいい曲でした。
それから、「関西情報ネットten」の「めばえ」というコーナーでその日に生まれた赤ちゃんを紹介する番組があるのですが、
そのときに流れるテーマ曲「誕生日」を出演者の一人、熊木杏里が歌いました。この人が歌ってたんだと初めて知りました。
いつも聞いてる曲を生の歌声で聴くことができました。この曲も良かったです。
秋川雅史の「千の風になって」も本当に癒さ れました。語ったらきりがないくらい、いろいろと私の心に響きました。
  夫はこの2月に母親を亡くしています。その夫が帰り際に「今日はありがとう。良かったよ。」と予想もしていなかった
言葉をかけてくれました。 練習休んでごめんなさい! 音楽最高! 心の洗濯できましたので、次回の練習はより豊かな
気持ちで参加できるような気がします。


5月10日 

  報告します!良かった、良かった!今日のウォーキングで、鴨のひなを7羽確認! 
親鳥と一緒でなくひなだけで泳いでいました。もう親離れ?? てっきり鯉にやられたかなと思っていましたが、 
 ほっとしました。


 5月8日
                             久し振りにウォーキングをしました。玉串川沿いは、あやめ、松葉菊、さつきつつじ
 などなど、きれいな花々で賑わっています。
 ふと水面をみると鴨が泳いでいました。 親鳥の後ろに小さな小さなひな鳥が6羽    
 一生懸命お母さんの後を追いかけていました。玉串川には鯉がたくさんいるので
 すが、その鯉に近づくとお母さんは泳ぐスピードをグーンとあげます。
 ひなはお母さんに遅れまいと必死に後についていきます。その光景が何とも言えず
 かわいくて、携帯をカメラモードにかえてしばらく立ち止まってしまいました。
 お母さんは、鯉から我が子を守ろうとしていたのでしょう。 
 「危ないから急いで!ちゃんとお母さんについてくるのよ。」と親鳥が言っている言葉が
雛が7羽。親鳥は羽をバタバタさせ  聞こえてくるようでした。家に戻って夫に「癒されたわ。」とこの光景を話すと、夫も前日
て鯉が近づくのを阻止しています。  ウォーキングの途中で写真と動画を撮っていました。私の撮ったものより綺麗でした。
子を想う親の愛情をみました。  でも、親鳥の後ろには7羽のひながいました。癒されて帰ったのに即刻ショックでした。

5月4日                  

  いよいよ「令和元年」突入です。今年のゴールデンウィークは10連休の人もいるようです。働き者、というか働き過ぎと外国の人た
ちから言われることの多い日本人は、この休日をどう過ごしたらいいのか戸惑っていることでしょう。
遊ぶにはお金がいるし、どこへ行っても渋滞 だろうし、家にいても時間をもてあますだろうし・・・。
  一方、退職組みの私は365日休日。どこへ行くにも混雑をさけて移動することができるようになりました。趣味のお陰で時間をもて
あますこともなく、マイペースで有意義な時間を過ごせています。幸せなことです。
  先日、亡くなった義母の荷物を片付けに夫の実家に行ってきました。ゴールデンウィークを少しはずしただけなのに道路は空いてい
てびっくり! マンドリンに興味のない夫はちょっぴり不満そうでしたが、青山忠さんのマンドリン演奏、古川忠義さん(私のギターの
先生)のギター演奏を聴きながら私は大満足でした。
  さて世の中には、物を捨てられなくて「どんだけー」っていうくらい貯め込んでいる人がいますよね。
私の義母もその中の一人のようです。これってもっと前に捨てるべきじゃなかったの?という物がどっさり。
その中にこんなものがありました。
1993年(平成5年)5月のカレンダーの裏に書いたもので、よくよく考えてみると義母がちょうど現在の私たちの年代のときのもの
だったのです。出典はわかりません。人から教えてもらって書き留めたのでしょう。できていたか、できていなかったは別として、当時 
の義母が大事にしたい、そうなるように努力しようと思ったことは確かでしょう。
   老華人生の秘訣
(1)年をとったら出しゃばらず 憎まれ口に泣き言に 人のかげ口や愚痴言わず 他人の事はほめなはれ 
    聞かれりゃ教えてあげて でも知っていることでも知らんふり いつでもアホでいることや
(2)勝ったらいかん負けなはれ いづれお世話になる身なら 若い人には花もたす 一歩下がってゆずるが
   円満にゆけるコツでっせ どんな時でもヘエおおきに
(3)昔のことはみな忘れ 自慢話もしなはんな わしらの時代はもうすぎた なんぼ頑張りこんでも 体がいうことききまへん
   あんたは偉い わしゃあかん そんな気持ちでおりなはれ
(4)お金の欲を捨てなはれ 山程積んだ銭金も 死んだら持っていけません あの人はエエ人やったと そないに人に言われるよう
   生きているうちバラまいて 徳を山ほど積みなはれ
(5)そやけどそれは表向き ほんまに銭を離さずに 死ぬまでしっかり持ってなはれ 人にケチやと言われても
   お金があるから大事にも みなベンチャラ言ってくれる 内緒やけどほんまだっせ
(6)わが子に孫に世間さま エエ年寄りになりなはれ ボケあかん そのために頭の洗たく生きがいに 何か一つの趣味持って
   せいぜい長生きしなはれや     「ぼけたらあかん 長生きしなはれ」
 (5)はちょっと笑ってしまいました。奥が深ーい。
義母が残したメモのようなカレンダーの切れ端に「はた」と手が止まり、処分することができませんでした。
私たちも、義母と同じようにそんなことを気にする歳になったんだと実感する瞬間でした。

4月16日

  皆さんは、楽器とどう出合われたのでしょうか?
私がマンドリンと出合ったのは、なんと群馬県の前橋市でした。私が中学の頃は、音楽は好きでしたが、クラッシクを聞くでもなし
海外の音楽もビートルズ、ビージーズ、モンキーズ、サイモンとガーファンクル程度しか知らず、もっぱら日本で人気のあったグルー
プサウンドに 熱をあげていました。ギターやドラムを演奏するかっこいい(?)お兄さんに憧れて、歌ったり踊ったりしていました。
 楽器といえばピアノしか弾いたことのなかった私は、どうにかしてギターをかっこよく弾けるようになりたいと思っていました。
 そして、憧れの高校に入学すると、そこに「ギター・マンドリンクラブ」があったのです。クラブの見学に行ってマンドリンの音色、
を 聴くとあんなにギターに憧れていた気持ちがすっとマンドリンに移ってしまいました。鈴木の5500円のマンドリンを買っても、
らい、うきうきとクラブに通いました。先輩は厳しかったですが演奏はとても楽しかったです。年に一度の演奏会では必ず「古戦場
の秋」を演奏したのを覚えてい ます。そして大学で2年間ギター・マンドリンクラブに在籍したのですが、事情があって3年の時に
辞めて、なんと30年間マンドリンとは縁が ありませんでした。50歳になった時仕事が週休2日になり、時間に少しゆとりができた
のをきっかけに再開しました。スムーズにマンドリン再開を果たせたのは、昔の経験があったからこそと思っています。
今ではマンドリンのお陰でたくさんの仲間に出会え、しかも音楽を奏でることによって本当に気持ちが癒されることがよくあります。
先日実家のある前橋に行ってきました。数年前に、前橋出身の詩人萩原朔太郎がマンドリンを弾いていて、群馬県のマンドリンの
普及に貢献したということを知って大変驚きました。私の母校は今年で創立107年。
マンドリンクラブの歴史も古く、朔太郎の影響があったのかもしれません(???)。

前橋にある朔太郎の文学館を訪ねてみました。彼が作曲したマンドリンの曲の楽譜、音源、使っていたギターが展示されてありま
 した。開館直後の誰もいない文学館でゆっくり1時間を過ごしてきました。
学生時代にマンドリンに出合えた事を今はとても嬉しく思います。 
 そして今もマンドリンを奏でることができていることに感謝しています。
何歳まで弾けるかわかりませんが、できるだけ長く続けたいですね。何でも良いんです、力を注げるものがあるって幸せですよね。

  

              
     広瀬川沿いに文学館あり         マンドリンをもつ朔太郎   指揮をする朔太郎    朔太郎のギター

4月6日 

KIMG0554.JPG 暖かい穏やかな日でした。いつもウォーキングをしているコースは、桜がきれいに咲いていました。

桜を見に来たたくさんの人で川沿いの歩道はいつもより混雑していてちょっぴり歩きにくかったです。
        
たくさんの人の中に、カメラマンと和服を着た女性そして市の職員(?)らしき人が、桜をバックに撮る

写真のベストスポットを探していました。観光都市を目指して宣伝ポスターでも作るのでしょうか。

遠くでは選挙の宣伝カーのスピーカーががんがんと鳴っていました。

いつもの静けさはありませんでしたが、私の大好きな淡いピンクの桜の花は、なんとも言えず綺麗で

私の気持ちを和ませてくれました。本当にすてきな光景です。日本人が大好きな桜。

ぱっと咲いてぱっと散ってしまう、うっかりしていると美しい花の見ごろが過ぎてしまう、そんなはかな

さをもった桜。 

風よ、雨よ、もう少し桜の美しさを楽しませてください、と願わずにはいられません。

昔からある曲「さくらさくら」、江戸幕末に子供用の琴の練習用に作られた曲のようですが、マンドリン

の音色にもぴったりです。桜は春の曲のテーマとしてもよく取り上げられますね。

森山直太郎の「さくら」、コブクロの「桜」、川口恭吾の「桜」なんか良いですね。       
4月3日

  新年号が発表され、世間は何やら騒がしくなっています。
最初に新年号を聞いた時、何か冷たいものを感じました。
同じ「和」という文字を使っていたせいか、戦争のあった昭和も一瞬頭をよぎりました。
何かあまりよくない気分でした。
しかし、今回、 「令」にすばらしいとか、良いという意味あいがあることを始めて知り、また昭和は戦争
で被った痛手からなんとか立ち上がろうとする力強さのある時代だったように思います。
活気があり、粘り強い日本人の気質が日本を変えていったというイメージがあるので、次の時代も日本
人の力が発揮できたらいいなと、次第に気分が変化しました。
いろいろ意見を言う人もいますが、今回中国の古典からでなく、日本の古典である万葉集から引用という
のも私的にはいいなと思いました。
長い歴史の中で、日本はいろいろなことを中国や朝鮮から吸収してきました。
しかし、日本人はそれらを独自なものに変化させて発展させる力をもっていたと思っています。
年号なんて必要ない!西暦で一本化したほうがずっとわかりやすい!という人もいて、確かに納得する
意見ではありますが、日本風の年号がなくなってしまったら何か寂しいと思うのは、私の中に古い意識が
ある証拠なのでしょうか?不思議なもので何度も聞いて何度も文字を見ているとだんだんと慣れてきて 
馴染んでくるものですね。
5月から始まる「令和」元年、何が待っているのでしょうか。
とりあえず、かわちマンドリーノは今より大きく発展してほしいです。団員が増えて、難しい曲にも挑戦し 
て 聞いてくださる皆さんも演奏している私たちも楽しく幸せな気分になれる音楽を作っていきたいですね。
   logo312.mif
 
 
 
 
 

3月30日

1週間ほど前、友人が始めたボランティア活動のお手伝いをするため岩手へ行ってきました。 KIMG0498.JPG            



KIMG0507.JPG
2011年の3月11日に起こった大地震。
大阪にいた私は、津波の様子をテレビでまるで映画のワンシーンを見るような感覚で見ていました。
実際にこんなことが起こるはずがないと心の中で思っていたからでしょう。
ボランティア前日、仙台空港からレンターカーに乗り込んで東北自動車道に入りました。しばらく走っ
てから高速を降りて一般道を走りました。気仙沼、陸前高田、そして目的地の大船渡。
海 と陸の境に高い、高い防壁が作られていて海沿いの道を走っているのに海がまったく見えません
でした。気仙沼から陸前高田に向かっていると海の近くの中学校が廃墟になって残っていました。
気仙中学校でした。津波は校舎の3階まで到達したそうです。
校舎の外壁に『ぼくらは生きるここで このふるさとで』って書いてありました。
ここの生徒たちはどうしたんだろうとその時思いました。つらい気持ちになりました。
大阪に戻って調べると犠牲になった生徒はいなかったようです。ちょっと安堵しました。
陸前高田は被害がひどく、8年経った今でもまだ町はほとんどといっていいくらい復興していません。
土地のかさあげをしている状況です。
 隣の大船渡は少し町ができていて、新しい海産物会社の建物や店やホテル、広い道路もありました。
でも模型の町を見ているようで、人が生活している息吹のようなもの、人の暖かさがあまり感じられま
せんでした。どんなことにも言えることかもしれませんが、失うのは一瞬、築き上げるのは途方もなく時
がかかるのだというこ とを感じました。
早く町が以前のように活気を取り戻せるよう、願わずにはいられませんでした。
今回の旅で自然と向き合うことの難しさも実感しました。
 私たちには大事にしなくてはいけないことがいっぱいあるなと思いました。

3月18日

 個人的なことで申し訳ありませんが、義母の四十九日が終わり一区切りつきました。

最近は人生100年とか言う言葉を聞く事が増えてきましたが、長い人生、区切りをつけないといけないことって何度かありますよね。

その区切りに何を感じ、何を思うかは人それぞれですが、私の場合は、義母の死と向き合って、私自身の残った人生をどう過ごしたら

いいのかな、なんて少し考えるようになりました。まだまだやりたいことはたくさんあります。

取りあえず、やりたいことをやりきるために『健康』、これが何より大切です。

 さて、3/10 に練習した曲の中に『The Rose 』という曲がありました。きれいな曲です。

その曲を弾きながら思い出したことがありました。

この曲はもともとは、同名の映画のテーマソングとして公開されたものですが、2002年ユースケ・サンタマリア主演で 「アルジャーノンに

花束を」 というテレビドラマがあり、その主題歌として使われていた曲だったのです。

2015年には再度、山下智久主演でドラマが放映されました。

 ドラマはこんなストーリーです。、知的障害をもった若者が、人工的に知能を高める人体実験の被験者になり、やがて彼の知能は超天才

の域に達します。しかし、同じ実験を受けた白ねずみのアルジャーノンが、天才ねずみから結局はもとの姿に戻ってしまい、彼は自分の

行く末を悟ってしまいます。

また、高い知能をもったことにより、やさしい仲間だったと思っていた人たちが、実は自分を見下していたんだと気づきます。

そして自分自身も、何でそんなことも理解できないのだと、周囲を見下す人になっていきます。

いろいろな問題を提起したドラマだったと思います。

 「The Rose 」の英語の歌詞と日本語訳を調べてみました。歌詞の日本語訳を見ながら、静かな部屋で独り、この曲を聴くと心にしみ

ますね。 明日からまた「がんばろう」って思えませんか。
   

 Some say love, it is a river  愛は川だという人がいる  rose.jpg               
 That drowns the tender reed    柔らかな葦を沈めてしまう川だと
 Some say love, it is a razor  愛それは剃刀だという人がいる
 That leaves your soul to bleed  魂から血を奪い取る剃刀だと
 Some say love, it is a hunger  愛は飢えだという人がいる
 An endless aching need    満たされることのない苦しい渇望だと
 I say love, it is a flower   私は愛は花だと言う
 And you, it's only seed  そして あなたはその唯一の種
 It's the heart, afraid of breaking  傷つくことを恐れる心は
 That never learns to dance  決して踊る喜びを知ることはない
 It's the dream, afraid of waking  目覚めることを恐れる夢は
 That never takes the chance  決して挑戦を試みたりしない
 It's the one who won't be taken   人を信じることのできない者は
 Who cannot seem to give  与えることもできないように思える
 And the soul, afraid of dying  そして死ぬことを恐れる魂は
 That never learns to live  決して生きることの意味を知ることはない
 When the night has been too lonely  夜があまりにも寂しかった時
 And the road has been long  そして道があまりにも長すぎた時
 And you think that love is only   そして愛は幸運で強い人間にしか叶わないと思う時
 For the lucky and the strong  
 Just remember in the winter  思い出してほしい、冬
 Far beneath the bitter snows  冷たい雪のずっと下には
 Lies the seed that with the sun's love  種があること その種が太陽の愛を浴びて
 In the spring becomes the rose  春にはバラになるということを

こんなことを念頭に、この曲を弾いたらさらに味のある曲になるかも(?)知れませんね。


3月10日

 
第7回定期演奏会が終わって2回目の練習でした。 前回事情で欠席した私は、ちょっぴりわくわくした気分で練習場所に向かいました。

演奏のミスはあったものの、演奏会終了時にはやはりそれなりの達成感がありました。メンバー全員気持ちは同じだと思います。

そして、いよいよ次のステップです。今度はどんな曲を演奏することになるのだろうと期待が膨らみます。

今日はお休みの人がけっこういたので、パート練習と用意していただいた8曲を円陣でざっと合わせました。難しい曲もありましたが、

私好みの素敵な曲が多かったです。

空はどんよりと暗く、時々ぽつぽつと小雨が降っていましたが、気持ちは晴れやかでした。またがんばるぞ!と意欲を新たにしました。